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オーディション番組は社会を映すか|『スター誕生!』から『No No Girls』まで【座談会・前編】
アイドル・オーディション番組が映す現代社会(連載第10回)
構成:大園百合子(編集部) 撮影:Ban Yutaka

2026年1月から連載してきた「アイドル・オーディション番組が映す現代社会」は、社会学者の太田省一氏をコーディネーターに、9名の書き手による寄稿で続いてきた。最終回となる本記事では、4名による座談会の模様を前後編でお届けする。
参加者は、作家・アイドル評論家の中森明夫さん、東京大学大学院情報学環教授の田中東子さん(メディア文化・フェミニズム研究)、中央大学文学部教授の辻泉さん(メディア論・文化社会学、アイドル・ファンダム研究)、そして司会進行を務めた社会学者・文筆家の太田省一さん。前編では「オーディション番組の構造と現在」を、後編では「ファン文化の変容とアイドルのこれから」をめぐって話し合っている。
私たちがはじめて出会ったオーディション
太田 オーディション番組が今これほど全盛を迎え、「推し活」はありとあらゆる場面に広がっています。この状況をどう見るか、そしてアイドル文化との接点をどこに見出すか。それが今日の話の軸になると思っています。まずは、それぞれの記憶に残るオーディションから聞かせてください。
辻 僕は1976年生まれで、自分史のなかで印象に残っているのは、ジャニーズJr.の番組『愛LOVEジュニア』(テレビ東京)です。思えば、なんでこんなものに熱狂したのかと思いますが、ジャニー喜多川氏(以下、ジャニー氏)に発見された歌も踊りも下手な子たちが、女子たちに応援されながらだんだんビッグになっていく過程が、のちの「推し活」文化につながる立身出世物語のようで、ずっと研究対象の一つであり続けてきたんですね。
中森 僕はやはり、1971年に始まった『スター誕生!』(日本テレビ、以下、『スタ誕』)ですね。太田さんと僕は同世代で、初代優勝の森昌子をはじめ、山口百恵、桜田淳子、いわゆる「花の中三トリオ」もほぼ同世代でした。連載第1回で、太田さんが指摘されている通り、日本の「アイドル」は1971年に始まったと言ってもいい。元祖アイドルとして名前があがる南沙織が『17才』という曲でデビューしたのもこの年。日本のアイドルは、新しいオーディション番組と一緒に始まったわけです。この時期が僕の思春期にドンピシャではまったので、自分が今こういう仕事をしているのかなと思います。
そして『スタ誕』には、現在のアイドルとファンの関係の原型がすでにあった。一つは、未完成の若い子が成長していく過程を応援する形。当時11歳の小学生だった僕らは、突然、同世代の女の子がスターになっていく姿を見て、カルチャーショックを受けたわけです。それまでの歌番組は、完成された大人の歌手が出るものだった。もう一つは視聴者投票方式の萌芽。阿久悠さんをはじめ業界のお歴々が審査員として並ぶ一方で、一般人による審査が採用された。今の言葉で言えば「推す」ことによってアイドルが生まれる形を、すでに見せていたわけです。
辻 お二人はリアルタイムでご覧になったんですか。
中森 もちろんです。
太田 日曜の午前11時の番組で、朝起きたらすぐ見られる時間帯でした。小学生にとっては、毎週日曜が待ち遠しかったですよ。
田中 私は、1972年生まれで、『スター誕生!』は記憶にありませんが、そこから出てきたアイドルたちを幼少期になんとなく刷り込まれた世代だと思います。
個人的には、2013年から10年ほど熱狂的に2.5次元の舞台を追いかけていて、テレビで見るというよりは現場に足を運ぶスタイルでした。オーディション番組との出会いと言えば、2022年にBMSGという事務所から、のちにMAZZELを誕生させたオーディション番組『MISSION×2』(YouTube配信)に「授業をしに来てください」という依頼が来たんです。当時はBMSGを知らず、しかも地方都市に呼び出されて、誘拐でもされるんじゃないか、芸能事務所怖い(笑)、と身構えたんですが、検索したら代表のSKY-HIの存在は知っていてBE:FIRSTが所属しているきちんとした事務所だとわかったのでお受けしました。メディアリテラシーとジェンダー論を、一泊二日で2コマやって、実際に番組の第11話に、講義をしている場面が1分ほど映っています。この経験をきっかけに、オーディション番組を意識して視聴するようになりました。とはいえ、歴は浅いんです。
『ノノガ』が示す、ルッキズムのその先
太田 最初に申し上げたように、これだけオーディションが盛況で、いろいろな形で行われ、話題になっている時代は、今までなかったと思うんです。その状況を象徴する番組として、まず何が浮かびますか。
中森 真っ先に思い浮かぶのが、『No No Girls』(YouTube配信、以下、『ノノガ』)ですね。ちゃんみながプロデューサー、SKY-HIがエグゼクティブプロデューサーを務めるオーディションで、再生回数も途方のないものになっている。ちゃんみな自身、子ども時代のルーツによる差別から、「高校生ラップ選手権」出場時のネット上の容姿への誹謗中傷まで、さまざまなバッシングを跳ね返してあれだけのものになった。その『ノノガ』で、候補者たちは「自分は〇〇のオーディションで落ちました」「太っていると言われました」と語り、ちゃんみながそれをしっかり聴いて受け止める。そこにはルッキズムへの強烈な抵抗がある。今までのオーディション文化の負の部分を全部引き受けて、新しいところに行こうとしているんだと思いましたね。僕も見ていて感動しました。

田中 男性アイドルへの女性ファンの暴力性も確かにある。それでも、男性たちの、女性アイドルに対する「俺たちがジャッジしていい」とばかりの封建的な視線が、アイドル好きな私でも長らく引っかかってきた。『ノノガ』は、そうした構造をすべて払いのけるようなオーディションでした。だからこそデビューしたHANAは女性ファンが多く、女性のアナウンサーや俳優が「HANAが好き」と公言しているのが印象的です。上岡磨奈さんも連載第7回でお書きになっていましたが、ジャッジされることの暴力性を身をもって経験してきた人たちが、強く惹かれる。若い時って、女子は太っているとか、背が高いとか、可愛げがあるないとか、逆に能力があると嫌われるとか、いろんなことでジャッジされてきた。あらゆる世代の女性に刺さったのが『ノノガ』だと思います。
私自身も毎週泣きながら配信を見て、HANAのメンバーも全員大好きになりました。ただ、研究者の目でも見てしまうので、「泣きながらエンパワーメントされていること自体が、結局エンタメのコンテンツなんだよな」という二重構造が見えてくる。それを金に換える人たちがいて、ビジネスとして成立しているからこそ次の段階のオーディションが生まれる。王道のオーディション番組のアンチテーゼとして『ノノガ』が生まれたのに、今度はそのアンチテーゼが成功してしまう。オーディション番組の恐ろしさであり魔力なんですよね。
人間まるごとが評価される時代
太田 その魔力の源はどこにあるのか。背景を少し広げて考えてみたいのですが。
辻 一言で言うと、「自己推薦入試の時代」だからだと思います。学力試験一発で決まらず、友人関係の充実、部活動、性格まで、頭脳だけでなく自分という人間まるごとが評価される時代です。その“自由で公正”な競争を、エンターテインメントとして見せているのがオーディション番組だと。
『ノノガ』についても、あえていけずなことを言うと、ルッキズム以外の評価軸が加わり、新鮮に映った一方で、“推薦入試の評価項目を増やしてしまった”だけという見方もできる。見た目、性格、さらにそれを俯瞰する視点まで問われる。結局、競争の厳しさはより深まっているな、とも思いました。

田中 「自己推薦の時代」、面白い比喩ですね。それでいうと、評価項目が増えたことで、選ばれる候補者もお育ちの良さそうな子が多くなっている。かつてはもっと多様な階層からアイドルが出てきて、やんちゃな子にも「一発逆転のチャンス」みたいなことがあったと思うんですけれどもね。
中森 エビデンスはないですけど、昔は兄弟が多くて「5人いたら一人くらいは芸能界でいいや」という雰囲気があった。地方では「芸能界に行くなんてサーカスに売られるようなもんだ」とも言われていた。それが今や、お母さんが一人娘に“ママのできなかった夢”を託す時代でしょう。大事に育てられているから、なかなかやんちゃになりようもない。「自己推薦」にならざるを得ない社会状況があると思います。
太田 「自己推薦」の中身として、改めて問いたいのが「スキル」と「個性」です。『ノノガ』で、ちゃんみなが候補者に「自由にやりたいなら、型にはまらないといけないことがある」と語る場面があります。型にはまる、つまり誰にでも認められるスキルを身につけて初めて、個性が自由に発揮できる。昭和的な「スキルのアーティスト対キャラのアイドル」という二項対立を、ちゃんみなは一人で乗り越えようとしているわけです。
そうなると、ダンスができる、ラップができる、歌えるというスペック自体が個性として打ち出されるようになる。最近では「別のオーディションで落ちました」と隠さずに言う候補者も出てきていて、HANAのメンバーMOMOKAも『PRODUCE 101 JAPAN THE GIRLS』(通称:日プ女子)出身であることを隠さず出していました。落選経験すら自己推薦の材料になる。現代社会の競争原理が、オーディション文化にストレートに反映されています。
審査員もまた、審査される

中森 ここ数日、Xで、元AKB48の板野友美が自分がプロデュースする女の子たちを怒っている動画がバズっていました。「全然気持ちが入ってないんだよ」と、“気持ち”の問題だけを責め続ける。スキルへの言及はほとんどない、根性論型の指導です。そこに、ちゃんみなが『ノノガ』で「声の出し方」や「この一行の感情の乗せ方」と具体的にフィードバックしているシーンが並べて貼られていて、今の子たちは精神論では納得しないだろうな、と感じました。
結局、問われているのはスキルそのものより、それを伝える言葉の質なんですよね。審査する側の言葉が、今や「推す側」であるファンにも届かなければいけない時代になっています。
田中 そういえば、『ノノガ』に落ちた子も受けていたLDHのオーディション、『ガルバト -GIRLS BATTLE AUDITION-』(日本テレビ)も、SNSで叩かれていたので逆に興味を持って全部見てしまいました。『ガルバト』の審査員側のボキャブラリーの少なさが目立ってしまう。パフォーマーとしてはもちろん力のある方々ですが、言語化というところで叩かれていたのかな、と。
中森 僕は、『アイドル・オーディション研究』に収められたインタビューで「審査員こそが時代に審査されているんだ」と言ったんですが、現在はそれが即座に、リアルタイムで起きている。審査する側が審査される、このSNS時代の審査のあり方が如実に出ていると思いました。
誰がアイドルを選ぶのか
太田 近年のオーディションでは、ファンや視聴者が投票に参加してデビューメンバーを選ぶ形が広がっています。『PRODUCE 101 JAPAN』はその代表例で、「国民プロデューサー」と呼ばれる視聴者投票の仕組みを持っています。最新作の「新世界」シリーズ(Lemino配信)では、海外の視聴者も「SEKAIプロデューサー」として投票に参加し、舞台はグローバルに広がりました。こうした視聴者・ファンが選ぶオーディションの形について、どのようにお感じですか。
中森 「推し」の時代の決定打となる仕組みですよね。思い出すのが、2022年8月31日放送のNHK『クローズアップ現代』「ジャニーズ、そしてBTS アイドル新潮流 その舞台裏を追う」です。ジャニーズ対K-POPの構図を、わかりやすく真正面から見せた印象的な番組でした。
関ジャニ∞(当時)の大倉忠義さんが、自身が手がけるなにわ男子について「どういう方向性でプロデュースすればいいのか、正解が見えない」と模索する姿が描かれていた。ジャニー氏の強い裁量で多くが決まってきた体制を、次の世代がどう引き継ぐのか。その難しさが画面から見えてきた。一方、BTSを輩出した韓国HYBEの日本法人「HYBE JAPAN」のハン・ヒョンロックCEOが、「日本発で世界を目指す」新グループのオーディションを進める様子を、オンラインの指標が刻々と変化する画面とともに映し出す。ジャニー氏が存命だったら、おそらく放送されなかったような番組構成でした。芸能というのは本来、優劣をつけにくいものです。けれどもアイドルにかぎって言えば、その価値を最終的に決めるのはファンだと思っている。大事なのは不特定多数の納得で、それを現在のテクノロジーは数値で可視化できるようにした。視聴者投票型のオーディションか、目利きのプロデューサーか。今のオーディション番組はそのどちらか、あるいは両者の組み合わせ方で個性を出している。
太田 つんく♂さんのような目利きは以前からいたわけですが、今はちゃんみなやSKY-HIといった新しい目利きが、国民プロデューサー型の投票と並んで現れて、どちらも反響を呼んでいる。この共存自体が、今という時代を象徴している気がします。
中森 振り返ると、秋元康さんがAKB48で「総選挙」を導入して、「みなさんが選挙で決めてください」という仕組みをうまくビジネスにした。強いプロデューサーとファン投票を組み合わせた形ですね。
「作られた好み」の外側へ

田中 おじさんプロデューサーが選ぶことと人気投票の組み合わせは、おニャン子クラブの『夕やけニャンニャン』(フジテレビ)のコーナーからありましたね。それで思い出すのが、ジャニーズ性加害問題が表に出たときのことです。私の知人で熱烈なジャニーズファンの編集者の女性が、ぼそっと漏らしたんです。「結局、私たちは、ジャニーさんの好みのタイプの男の子たちを好きになるように作られてきたんですね」と。
女性アイドルも同じ構図です。男性プロデューサーたちが選んだ好みのタイプが押し出され、応援しているうちに、ファンはその子たちを好きになる。もちろんアンチテーゼも出てきた。たとえば『ノノガ』の一世代前でいえば、いわゆるキラキラアイドル女子へのアンチとして、アイナ・ジ・エンド率いるBiSHがいた。でも結局、「王道vsそれ以外」という構造の中で、アンチも消費されていく。
そこに疑問があって。視聴者の側の評価基準だって、小さいころから既存のアイドルを見ながら形づくられてきたものですよね。大物プロデューサーが推してきたものと「国民プロデューサー」が推すものに、果たしてそんなに違いがあるんだろうか、と。
だから、というのも変ですけれど、私自身は負けてしまった子が好きなんですよ。モーニング娘。もそうじゃないですか。勝ちきれなかった人たちのほうが売れてしまったり。落ちちゃった子に目が行きがちなんです。
中森 それはすごく重要な視点ですね。僕らも『スタ誕』で「なんでこの子が落ちるんだろう」と思って見ていた。オーディションは、必ずしも受かった人だけを見るものではない。モーニング娘。だって、『ASAYAN』でグランプリを獲りながら世に残らなかった平家みちよ(塚田修一・連載第2回参照)を知らない人も多いでしょう。
辻 いや、覚えてますよ。モーニング娘。を語るときの枕詞のような存在ですよね。
中森 『ノノガ』も、ほかのオーディションで落ちた人たちが集まる「敗者復活戦」になっている。「落ちた側に目が行く」というのは、オーディション文化が長くなって、応援する側にオーディション的な感性が内面化されているからだと思うんですよ。
オーディション文化という「学校」
辻 少し話はかわりますが、グループアイドルと学校って、構造がよく似ているんですよね。AKB48も制服を着ましたし。
中森 卒業とかね。
辻 『愛LOVEジュニア』も城山Jrハイスクールという学校設定だった。『ノノガ』は学校でいうと何なんでしょうね。制服がない学校?
太田 ある種特殊な学校というか、落ちこぼれた子たちの学校のイメージですね。
田中 通信制の学校ですかね。いわゆる“アイドル学園”に通えなくなったり、退学になっちゃった子たちの。
辻 それだ、すごい腑に落ちる。フリースクールみたいなイメージですね。
田中 あんな先生がいたら学校行けちゃいますよね。
中森 先生で思い出すのが、AKB48全盛時代に音楽クリエイター・ヒャダインさんが書いていた話です。秋元康さん、つんく♂さん、小室哲哉さんを念頭に置いて、アイドルグループのプロデューサーは、ファンから「なんでこの子をごり押しするのか」と恨まれる悪役を引き受ける覚悟が必要だ、と。そこで、ファンとアイドル本人が「なんでこんなことをするんだ」と泣きながら一緒に立ち向かう。そこから力が生まれるんだ、と。逆に言うと、すべてを民主的にやってしまうと、うまくいかなかったときに、責めを引き受ける誰かがいなくなる。プロデューサーが「悪役」を買って出てくれるからこそ、ファンとアイドルの間に力が生まれる。精神分析学者の岸田秀さんは、学校教育は権力によって子どもを社会化する必要悪だという趣旨のことを論じていますが、アイドルに関してもプロデューサーがそういう役割を担っている面はあると思います。
辻 学校でも、学芸会の主役を投票で民主的に決めてもうまくいくとは限らない。むしろ「なんでこいつが主役なの?」という不条理さがないと面白くならないですよね。
中森 でも考えてみると、今の子どもたちは学校よりSNSで現実を見てしまっている。リアルでは人を悪く言わないのに、匿名の場ではボロクソに言う。今、そういう社会になってる。そのギャップを埋める教育機構として、オーディション文化が機能していると思うんですよ。特に『ノノガ』ほど教育的価値の大きいオーディションは、他にないんじゃないかな。
辻 制服も校則もない、でも確かに何かを学べる場所。形のない学校、ですね。
座談会は、ここからファン文化の変容と、現在のアイドルが置かれている状況についての議論へと移っていく。「推し活」とは何か、「サナ活」というキーワードに集約された政治とアイドル文化の関係、そして日本のアイドルがグローバル化の波のなかでどこへ向かうのか。後編へつづく。
プロフィール

中森明夫(なかもりあきお)
1960年、三重県生まれ。作家/アイドル評論家。1980年代から多方面で活動。「おたく」という言葉の生みの親でもある。全日本国民的美少女コンテストやオーディション番組『ラストアイドル』等で審査員を務めた。2010年、小説『アナーキー・イン・ザ・JP』が三島由紀賞候補となる。著書に『アイドにっぽん』『アイドルになりたい!』『午前32時の能年玲奈』『TRY48』『推す力』等、共著に『AKB48白熱論争』等、多数。

田中東子(たなかとうこ)
東京大学大学院情報学環教授。専門はメディア論、フェミニズム、カルチュラル・スタディーズ。第三波以降のフェミニズムやポピュラー・フェミニズムの観点から、デジタル・メディアやAIに関わる諸問題の調査と研究に取り組んでいる。著書に『オタク文化とフェミニズム』(青土社)、『メディア文化とジェンダーの政治学』(世界思想社)、編著に『ガールズ・メディア・スタディーズ』(北樹出版)、共編著に『ジェンダーで学ぶメディア論』(世界思想社)、共翻訳書にアンジェラ・マクロビー『クリエイティブであれ』(花伝社)などがある。

辻 泉(つじ いずみ)
中央大学文学部社会情報学専攻教授。専門は文化社会学、メディア論。ファン文化の研究をライフワークとしながら、若者文化やメディア利用行動の実態に関する調査研究を続けている。著書に『鉄道少年たちの時代―想像力の社会史』(勁草書房)、共編著に『メディア社会論』(有斐閣)、『リフレクシブ・ライブズ― 青少年研究会調査にみる「曲がり角」の時代の若者たち』(勁草書房)、『つながりの「曲がり角」-データで読むモバイル・コミュニケーションの変遷』(新曜社)などがある。

太田省一(おおたしょういち)
社会学者・文筆家。テレビと戦後日本社会の関係、アイドル、お笑いやバラエティ番組、ドラマなどについて執筆活動を続けている。著書として『刑事ドラマ名作講義』『放送作家ほぼ全史』(ともに星海社新書)、『「笑っていいとも!」とその時代』(集英社新書)、『萩本欽一 昭和をつくった男』(ちくま新書)、『水谷豊論』(青土社)、『攻めてるテレ東、愛されるテレ東』(東京大学出版会)、『紅白歌合戦と日本人』(筑摩選書)などがある。

本書は、2020年度に放送文化基金が助成した研究「アイドルオーディション番組の総合的研究」の成果をまとめたもの。
『スター誕生!』『ASAYAN』などの歴史的な番組から海外の事例までを体系的に整理し、「オーディションを通して社会を考える」という新しい切り口で論じた初の“オーディション・スタディーズ”。
アイドル文化やメディア研究に関心のある方におすすめの一冊です。
- 編著者:太田省一 / 塚田修一 / 辻泉
- 発行所:青弓社
- 発行日:2025年9月2日
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