
3日に一度雨が降り、道路は泥濘で、車の走行はトラブル続く。アフガンで起こる事柄は全てこの道路のようなもので、道筋はあるが障害物が多く、目的地になかなか着かない。
2月26日、研修1日目、前回の初級講習者とABU子ども番組研修者が一緒になり、8人集まったが、雑然としている。今回のコースの説明と日程を知らせ、要望・意見を聞くと、マレーシア(ABUの子供番組プロジェクトのセミナー)に自分を連れて行くように、と強く言い張る人もいる。「それはRTAが決めることで、私は番組の研修をするためにきている」と説明。2日目、機材の点検と、機材の使い方の講習を行う。とにかく、研修として5〜10分番組を制作してもらうことを話し、準備に入る。3日目、各人にカメラを渡し、2日間、子どもをテーマに、音、光線の具合を十分考えて撮影してくるよう指示。外録授業に入った。
これまでの研修を通して見ると、RTAの中はセクショナリズムの塊である。民族、地位、職種、性別、年齢、など同類項が集まって生活、仕事をしている。日本人からみると理解し難いし、やりにくいし、こちらが当然と思っていることが非難の的になる。
例えば、ラジオのディレクターとテレビのディレクターが同じ部屋で一緒に講義を受けることは中々難しいことなのである。私の放送に対する基本的な考えは、「音」が基本であり、「音」を大事に番組を制作することである。だが、研修ではカメラを使う作業が主になり、ラジオのことが気になっていた。日本ではラジオ番組もテレビ番組も同一のディレクターが制作をしている。両方の番組を制作することで両者の性質が分かり、より良い番組が制作できると説明してきた。ところが、研修生の記念写真を撮影しようとすると、テレビディレクターとラジオディレクターは別々になる。私にとって、やりにくい状況であった。
ところが、講義が終りかけた頃、ラジオのディレクターから、「私たちにカメラの扱い方を教えてください」との申し出があり、びっくりするや、嬉しいやら、目を見開かされた。すると、即、テレビの研修生たちがカメラの扱い方を教え始めたのである。新しい場面が展開し始めた。期待に胸が膨らんだ。これまでの研修を通して一番嬉しかったことである。