研修回数9回、3年にわたるアフガニスタンでの研修が始まった。2003年11月2日に日本を発ち、インド・デリーから乗り継ぎのアリアナ航空欠航によるアクシデントと難航続きで始まった第1回の研修は、一口で言えば戸惑いの多い研修だった。研修の初日、研修員の顔ぶれを見て驚いた。新人が対象ときいていたのだが、新人の初々しさは昔に脱ぎ捨ててきたような中年の顔つきの人たちばかり30人ほどいる。敢えて言えば数人の30代が若手だ。ここでまず、私の考えていた研修計画は微塵に壊された。それ以前に、研修員自身、何をするための研修か分かっていない様子である。
気を取り直してお互いに自己紹介し、肩慣らしにNHKの幼児番組『おかあさといっしょ』を視聴することにした。いざ番組が始まると、食い入るように画面を見つめている。その後の意見交換では、番組については勿論のこと、日本の家族構成、幼児教育について次々に質問があり、瞬く間に時が経った。また、電波、音声についての理解を深めてもらうため、ロープを使って、大きな波、小さな波を見せ、放送もこの波の原理を利用していることを説明した。この簡単な実験は彼らにとっては大きな衝撃だったようで、好評であった。
私は英語で講義をし、BBCに1年派遣されていたミッセル・ハーン・シュニアリさんが通訳を勤めてくれた。英国型紳士で教養も深く、厳しい一面も持つ知識人である。私は滞在中、DVカメラで撮影をしていたが、「軍関係は決して撮影してはいけない」と忠告してくれた。こうして波乱の研修は幕を開けたのであった。 |