
アフガニスタンで迎える二度目の4月。桃の花に似た花が満開になった。こちらでは金曜日が日本の日曜日に当たる休日である。朝8時半には太陽が高く昇り、燦燦とカブール盆地を照らす。日陰の気温は25度前後、海抜1,791mの高原にあって中央アジアとインドを結ぶ商業都市の休日は、この地の人々の楽しいスケジュールを祝うようにスタートする。コンチネンタルホテルの周りにも桃の花に似た花が咲く木がたくさん植えられており、大勢の人々が日本と同じようにお弁当を用意し、花の下で敷物を敷き、家族の団欒を楽しんでいた。毎年、繰り広げられる光景である。
RTAでは人事異動が始まったのか、慌しい人々の動きが局内を揺るがせ、なんとなく落ちつかない雰囲気が漂っていた。子ども番組部の賄をしている老婆がいたのだが、退職を言い渡されたらしい。夫が病気のため、老婆の働きだけで生活をしており、辞めさせられると生活が出来なくなるとのことで、子ども番組部のディレクターたちは心配していた。
私と関わった人たちの中にもRTAを去った人がいる。私の助手を勤めた男は、驚いたことに、早々とアフガン国会のカメラマンに転職、議員に同行取材をしているとのことだった。このニュースはRTA職員にとっては衝撃的だったらしい。給料は高くなり、海外にも出張し、転職の成功例というところか。上品な三つ揃いに身を固め、ホテルに私を訪ねてきて、楽しそうに海外の取材話をする彼は、別人のようだった。
もう一人、前回の研修中に再就職の相談をもちかけてきた職員がおり、私が就職用の顔写真を何種類も撮影したことがあった。この人がRTAを訪ねて来た。久しぶりの再会を喜び合った後、話を聞くと、空港事務所に就職したと言う。元気で働いているようなので一安心であった。
さて、研修の方はというと、RTAのマローフPDと共にABU子ども番組セミナー向けの番組取材を始めた。幼稚園に行き、交渉の結果、園児の遊びを取材することになった。アフガンの子どもの手遊びは、歌もまじえたもので、私の幼少期の子どもの遊びとよく似ており、郷愁を感じたものだ。マローフPDは、どのようにして遊びが子どもから子どもへ伝えられていくのかを探りたいと考えているようだった。先輩の園児と新入園児の状況をロケしたいと言っており、私は幼稚園児だけでなく、町のコミュニティの中での遊びの状況、伝承を取材するよう助言した。
ともあれ、子どもの遊びといい、お花見といい、日本とよく似ている。遠い故郷を懐かしく感じさせられたアフガニスタンの春だった。