ドキュメンタリー

面白く伝える「テレビの大道香具師」―テレビドキュメンタリーの巨人・相田洋さんを悼む【前編】

鈴木嘉一(放送評論家) 

相田洋さん

『NHK特集』や『NHKスペシャル』などで活躍した元NHKエグゼクティブ・ディレクターの相田洋(ゆたか)さんが2026年8月2日、多臓器不全のため死去した。90歳だった。『世界の科学者は予見する・核戦争後の地球』や『自動車』『電子立国 日本の自叙伝』『マネー革命』などドキュメンタリーの秀作や大型企画を次々に手がける一方、南米に移住した人々のその後を半世紀にわたって追い続けたヒューマンドキュメンタリー「乗船名簿」シリーズもライフワークとした。“生涯一ディレクター”を貫き、テレビドキュメンタリーの歴史に大きな足跡を残した巨人だった。前後編でその軌跡をたどり、テーマごとに開発してきた方法論も探ることで追悼としたい。なお、ご本人以外の敬称は略させていただく。後編を読む

放送関係の“三冠”に輝いた放送人

相田さんは1991年の第17回放送文化基金賞の放送文化部門で、優れたドキュメンタリーの制作という理由で個人賞を受けた。同時に受賞した牛山純一(1930-1997)は、初の民放テレビ局として1953年に開局した日本テレビの新卒一期生であり、民放初のドキュメンタリー番組『ノンフィクション劇場』を始めた。制作プロダクションの草分けである「日本映像記録センター」を設立し、『すばらしい世界旅行』や『知られざる世界』などのドキュメンタリーも開発した。相田さんと牛山はこれと前後して、芸術選奨文部大臣賞や日本記者クラブ賞も受賞した。この2人以外で放送関係の個人賞の“三冠”に輝いた放送人は、『苦海浄土』と『鳳仙花 近く遥かな歌声』で二度の文化庁芸術祭大賞に輝いたRKB毎日放送(本社・福岡市)の木村栄文(1935-2011)しかいない。ただし、木村の場合、芸術選奨は新人賞だった。牛山は「日本のテレビドキュメンタリーの開拓者」という言い方がふさわしく、独特の作風で知られた木村は名匠と言うべきか。

さらに、相田さんは2024年、「長年にわたる優れたテレビドキュメンタリーの企画・制作」によって「放送文化基金50周年記念賞」を受賞した。テレビの草創期から活躍してきた女優の黒柳徹子、制作プロダクション業界を理論的に牽引し、38年間にわたりTBSの『世界ふしぎ発見!』をプロデュースしてきたテレビマンユニオン会長の重延浩(ゆたか)ら4件の個人・グループとともに選ばれた。作品の質と量はもとより、活躍した期間の長さも評価すれば、相田さんは「日本のテレビドキュメンタリーの巨人」と言えよう。

2024年、「放送文化基金50周年記念賞」を受賞した相田さんと重延浩・テレビマンユニオン会長(右)

“アーカイブ・ドキュメンタリー”の原型

読売新聞の放送担当記者だった私が相田さんと知り合ってから40年近くたつ。1987年、『NHK特集』で4回にわたり放送された『自動車』についてインタビューしたのがきっかけだった。米国を代表するノンフィクション作家デイビッド・ハルバースタムと組み、日米の自動車産業史と自動車づくりに人生を懸けた男たちの群像を描いた。日本はどうやって自動車王国だったアメリカに追いつき、追い越したのかを物語性豊かに示し、アメリカの対日貿易が恒常的に赤字になる日米経済摩擦の深層に迫った。

相田さんは当時、「日米経済摩擦を掘り下げるため、以前から両国の自動車産業史に取り組みたかったが、米国側の取材がネックだった。ハルバースタム氏が同じテーマで取材中と知り、その論旨に基づきながらテレビ独自の表現で描きたいと申し入れた。彼の著書『覇者の驕(おご)り』はフォード対日産に日米の違いを象徴させたが、番組ではもっと広がりを持たせた。日米の動きを時代の節目ごとに突き合わせると、『なるほど、そうだったのか』と納得することが多かった」と語った。

スタッフはまず、過去の映像資料集めに取り組んだ。自動車に関するものなら局内はもちろん、日米の各メーカーや業界団体に総当たりし、400時間分のフィルムやビデオテープを入手した。これを見て整理・分類する作業がまた大変。朝から深夜までこもりっきりでも2か月近くかかった。資料で足りない要素は関係者へのインタビューや現地取材で補い、150時間分に上った。過去と現在の映像を組み合わせる手法は、NHKで1995年から始まった『映像の世紀』シリーズなどで確立された“アーカイブ・ドキュメンタリー”の原型とも言える。これは放送中の『映像の世紀バタフライエフェクト』に至っている。

三つの局を横断して生まれた『NHK特集』

「N特」と略称された『NHK特集』は1976年にスタートした。当時の堀四志男(よしお)・放送総局長は「テレビにはまだまだ可能性がある。新しいテレビを作れ」と大号令をかけ、報道、教育、芸能の各局から独立して新設した「NHKスペシャル番組班」(後に部に昇格)に新番組の開発を命じた。三つの局には独特の職場風土と番組作りの伝統があり、良くも悪しくもタコツボ化していた。堀総局長は縦割りのセクショナリズムを打破するため、組織を横断するプロジェクト方式の制作システムを導入させた。

新番組の基本精神は「サムシング・ニュー」だった。企画・編成を担うプロデューサー集団の性格が強い同部で、現場に立ち続けたのが吉田直哉(1931-2008)と岡崎栄だった。吉田は日本初のテレビドキュメンタリー番組『日本の素顔』に携わり、テレビドラマ畑に転じた後は大河ドラマ『太閤記』『源義経』を2年続けて一人で演出し、歴史ドラマ路線を確立した。大型企画の『明治百年』や『未来への遺産』ではチームのリーダーを務めた。同期生の岡崎は、大河ドラマ『天と地と』や異色の時代劇『天下御免』をヒットさせた後、ドキュメンタリーやドキュメンタリードラマも手がけた。ともにテレビ放送が始まった1953年に入局した“テレビの一期生”であり、「テレビ表現の開拓者」と言うべき存在だった。教育局教養部から異動した相田さんは、この2人の先輩とともに数少ない直属のディレクターとして活躍した。

NHKスペシャル番組部時代の相田さん

大きな反響を巻き起こした『核戦争後の地球』

相田さんの「N特」時代の代表作の一つが『世界の科学者は予見する・核戦争後の地球』だった。1984年8月、2夜連続で放送されたこの番組は、世界の第一線の科学者たちが予見する全面核戦争とその後の世界を最新のテレビ技術を駆使して描いた。第1部「地球炎上」と第2部「地球凍結」はともに視聴率が20%を超え、2日間で視聴者から約7万件もの電話が寄せられた。国際的に権威のあるイタリア賞のグランプリや芸術祭大賞など国内外の賞にも輝いた。

「あれは頼まれ仕事。当初は『人類が経験していないことを映像にするなんて』と逃げ回った。引き受けた以上、どうすればこの世の地獄を表現できるか、寝ても覚めてもそればかり考えたよ」と大笑いしながら振り返ったように、科学者の想定をどのように映像化するかが腕の見せどころだった。例えば、東京上空で核爆弾が爆発し、都心の高層ビル群が一瞬にして吹き飛ぶシーン。ビルを撮影した写真をガラス板に貼り付け、その裏側に火薬玉とマグネシウムを埋め込んで炸裂させ、80倍速のハイスピードカメラでとらえる特撮を編み出した。チームで一から考えて、工夫を凝らした映像による“想定ドキュメント”だった。

芋づる式に浮かんできた大型企画

これに先立つ1980年に放送された『石油・知られざる技術帝国』(3回)は、1979年の第二次石油ショックを受けながらも、技術的側面からエネルギー事情に迫り、放送文化基金賞本賞などを受賞した。エネルギー問題でも石油問題でもなく、「見えざる地底と人間の熾烈な闘いのドラマを描こう」という視点には相田さんの独自性が光っていた。これは翌1981年から始まる『NHK特集』の大型企画『日本の条件』に発展し、4年間続いたこのシリーズでは「マネー」「外交」編を担当した。

「あるテーマを掘り下げると、次の企画が自然に浮かんでくるんだよ。芋づる式に次から次へとね」。石油、オイルマネーと日本の関係を突き詰めていくと、「日本は自動車を輸出し、もうけたドルで石油を買っているんだな。それにしても、世界一の自動車王国のアメリカにどうして勝てたんだろう」という疑問に至る。こうした問題意識は『自動車』に結実し、その次は「待てよ、外貨の稼ぎ頭にはエレクトロニクスもあるぞ」と、半導体をテーマにした力作『電子立国 日本の自叙伝』に取り組んだ。13年間続いた『NHK特集』に代わって、平成がスタートした1989年4月、「随時編成」を柱とする『NHKスペシャル』(Nスペ)が始まった。『電子立国 日本の自叙伝』は1990年、6回シリーズで放送され、相田さん自身が芸術選奨文部大臣賞を受け、番組はギャラクシー大賞に輝いた。

『NHKスペシャル』でも代表作を残す

相田さんは自ら「テレビの大道香具師(やし)」と称してきた。「僕が見聞きしてヘェーと思ったことをお客に面白く伝える。そういう『伝達のプロ』でありたい。言い換えれば職人だな。頭で考えるのではなく、大工のようにこつこつと体を動かし、手先で語るんだよ」

「産業のコメ」と言われる半導体の分野では当時、日本が先進国のアメリカを追い越した点でも自動車産業と共通していた。半導体産業の発達史と日米の攻防を描く今度は、ハイテク技術の世界が取材対象だった。「いやあ、僕だって最初は、半導体ってそもそも何ですかって聞き回ったんだよ」と笑った。『電子立国 日本の自叙伝』では、自分が画面に登場し、三宅民夫アナウンサーとの掛け合いで視聴者にわかりやすいよう解説を加えた。本人が「テレビ講談」と呼んだ人間くさい語り口は、まさに大道香具師の名にふさわしかった。

「Nスペ」では、この続編にあたる1995~1996年の『新・電子立国』(9回)や1998年の『マネー革命』(4回)の代表作も作ってきた。基幹産業や金融の分野に踏み込み、専門的な知識の裏付けを得たうえで映像化するには、強い知的好奇心と咀嚼力が求められる。さらに、企業秘密などの厚い壁を乗り越えて、取材対象を口説き落とす交渉力、説得力とともに、相手に信頼してもらう人間的な魅力も欠かせない。チーフプロデューサー・システムが進む一方だったNHKにあって、企画から取材、構成、編集まで自分で手がけるこの人のような“強いディレクター”はきわめて珍しかった。

2014年ごろ、取材に応じる相田さん(相田さん提供)

つづきを読む:南米移民を半世紀も追い続けたライフワーク―テレビドキュメンタリーの巨人・相田洋さんを悼む【後編】

プロフィール

鈴木嘉一(すずきよしかず)
放送評論家
元読売新聞編集委員。「放送人の会」の理事・大山勝美賞選考委員長。元放送倫理・番組向上機構(BPO)放送倫理検証委員会委員長代行。著書に『テレビは男子一生の仕事 ドキュメンタリスト牛山純一』(平凡社)、『大河ドラマの50年』(中央公論新社)、『脚本家 市川森一の世界』(長崎文献社、共著)、『桜守三代 佐野藤右衛門口伝』『わが街再生』(いずれも平凡社新書)など。

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