助成
「山田太一の仕事部屋」心の原風景・湯河原で再現
鈴木嘉一(放送評論家)

脚本家・山田太一さんが少年時代を過ごした神奈川県湯河原町で、その書斎を再現した常設展示が始まりました。昨冬、横浜で開かれた「山田太一・上映展示会」に続き、放送評論家・鈴木嘉一さんが現地を訪ねました。(上映展示会の記事:前編・後編)
日本を代表する脚本家であり、作家としても活躍した山田太一さんが亡くなって、2026年11月でまる3年になる。命日を前にして、山田さんが多感な十代の歳月を過ごした神奈川県湯河原町の町立図書館で「山田太一の仕事部屋」が再現され、10月4日から一般公開が始まった。共催の「山田太一のバトンをつなぐ会」は、山田さんの次女の長谷川佐江子さんが代表を務め、放送文化基金からイベント事業部門の助成を受けている。遺族が書斎の机や蔵書、直筆の原稿などを湯河原町に寄贈し、公開にこぎ着けた。この会は、2025年12月から2026年2月まで横浜市の放送ライブラリーで開催された「山田太一・上映展示会」も共催した。会期が限られた横浜での上映展示会に対し、ゆかりの地で実現した展示コーナーは名脚本家の常設展として意義深い。

母を亡くし、文学に目覚めた湯河原の9年間
湯河原町立図書館はJR東海道線の湯河原駅から徒歩3分と近いので、観光客も気軽に立ち寄れるだろう。白い円筒状の部分が突き出た3階建ての図書館は、建築から50年近くたつ。私は公開前日の10月3日、ここで催された「山田太一の仕事部屋~ドラマが生まれた場所~」完成記念セレモニーに参加した。展示会場の3階に向かうと、階段の壁面にイラストが描かれ、ここからが展示スペースと知った。書斎の再現と聞いていたが、それだけにとどまらない。手作り感を漂わせる展示がアーチ状の装飾もある空間と調和し、想像を上回る内容に感じ入った。
山田さんは1934(昭和9)年、東京一の繁華街だった浅草で大衆食堂を営む両親の六男として生まれた。5人の兄のほか姉が1人、妹が1人いた。9歳まで浅草で過ごし、太平洋戦争の戦局が悪化した1944年の春先、一家で湯河原町に疎開した。ミカン畑を持っていた父は指圧師の資格を取り、家族を養ったが、終戦の前後、母とすぐ上の兄が病気で亡くなった。
戦後の1947年、山田さんは新制中学の1期生として湯河原中学校に入学した。父は戦争で夫を失った子連れの女性と再婚するが、けんかが絶えなかった。不仲が家庭内に影を落とし、二人は後に離婚した。湯河原中では復員した若い国語教師の影響で文学に親しむようになり、県立小田原高校に入ると文芸部に所属した。家の経済事情から卒業後は就職するしかないと思っていたが、父が町中で始めたパチンコ店が予想以上に繁盛したため、「おい、大学に行ってもいいぞ」と言ってくれた。
山田少年の湯河原生活は9年に及んだ。温泉と温暖な気候、豊かな自然に恵まれたこの町で、母と死別し、複雑な家庭事情を抱えながら、文学への関心を深めた。この時代は山田さんの内面をはぐくんだ“心の原風景”と言えよう。高校卒業後は湯河原を離れ、東京で一浪生活を送った後、早稲田大学教育学部に進学し、生涯の友となる寺山修司と同じクラスになった。

ATP賞特別賞を受賞した「繋ぐ会」
「山田太一のバトンを繋ぐ会」の成り立ちと活動に触れよう。山田さんが2023年11月29日、89歳で死去した後、神奈川県川崎市の自宅には脚本やスクラップブック、手紙、番組のDVDなどの資料や膨大な蔵書が遺された。TBSに勤務したことがある佐江子さんは、1970年代から1980年代にかけて山田さんとともに「脚本家の時代」をリードした向田邦子のコーナーがある鹿児島市のかごしま近代文学館や、市川森一の資料や顕彰碑がある長崎県諫早市立諫早図書館を訪れ、資料の活用法を探った。NHKの『ETV特集』で放送された『山田太一からの手紙』を作ったテレビマンユニオンの合津直枝さんと一緒に遺品の整理に乗り出し、「父の作品と資料を次世代のために役立てたい」と会を旗揚げした。
「繋ぐ会」は、放送ライブラリーが主催した特別企画「山田太一・上映展示会~名もなき魂たちを見つめて~」を共催し、直筆の原稿やノート、写真、書簡類などを提供した。47日間の期間中の来場者は計1万5000人を超えた。1日平均で300人以上となり、人気を呼んだ2024年度の特別展示「『あぶない刑事(デカ)』ヒストリー 1986~2024」を上回った。北海道や四国など遠方から訪れた人や、日替わりの上映会に参加するリピーターも目立った。アンケートでは、これまでの催事に比べて自由記述の感想が多く、関心度の高さがうかがえたという。

「繋ぐ会」は早稲田大学での上映会とトークショーも共催するなど地道に活動を続け、全日本テレビ番組製作社連盟(ATP)が2026年7月に開催したATP賞テレビグランプリで特別賞に輝いた。「テレビドラマを文化資産として継承する活動に尽力された功績と今後の活動の広がり」が評価されたからだ。この会は9月、一般社団法人に移行するとともに、名前も「繋ぐ」をひらがな表記に改めた。長谷川佐江子さんが引き続き代表を務め、スタジオジブリが発行する冊子『熱風』で「山田太一といっしょに山田太一ドラマをすべて見る」を連載している文学紹介者の頭木(かしらぎ)弘樹さんらが、新たに理事として加わった。公式サイトを立ち上げ、趣旨に賛同する会員(年会費3800円+税)を募集する。
高知のデザイナー夫妻が手がけた展示
私は2025年夏、山田宅を訪れ、仕事部屋や地下の書庫を拝見した。常設展示会場では、整然としていたその書斎が忠実に再現された。ある時期まで執筆用に使っていたこたつから、写真集や画集などが並ぶ本棚、録画したVHSテープまであった。原稿用紙のます目からはみ出しそうな独特の筆跡の生原稿をはじめ、女優たちと交わした書簡、未公開の写真、生涯書き続けた読書ノートの複製とともに、山田さんのエッセイやインタビューからの引用も展示されている。「山田太一から、うけとったもの。」と題して、脚本家の宮藤官九郎や演出家の大根仁(ひとし)、シンガーソングライターの小沢健二らが寄稿したパネルも並んでいた。山田ドラマの一部を視聴できる一室もある。
山田さんの軌跡や作品歴も線路と駅などのイラストで表現され、山田一家が過ごした当時の湯河原の町並みのマップも見やすい。視覚に訴えるこれらの展示は、高知市でデザイン事務所を構える里見和彦・由佐夫妻が手がけた。二人とも山田さんのファンで、放送ライブラリーでの上映展示会を見に行ったことが、佐江子さんとの出会いにつながった。人の縁というのは異なもの、味なものだ。

セレモニーでは、山田さんと同じく小田原高校出身の内藤喜文町長があいさつした。「湯河原駅から近いので、町民や山田さんのファンだけではなく、観光客も来てもらえるでしょう」と述べつつ、「観光資源というよりは文化資産として後世に伝えていくことをお約束したい」と結んだ言葉は、頼もしく聞こえた。これを受けて、佐江子さんは「父は脚本を書くと、声を出して読んでいました。怒った声、泣いているような声、いろんな声が父の部屋から聞こえてきたものです。大音量でレコードをかけたりもしました。そんな父の書斎が思い出深い湯河原で再現され、感謝しています。何よりも父が喜んでいると思います」とスピーチした。
「この図書館でも上映会を」と小倉さん
この後、山田さんが代表作の一つ『岸辺のアルバム』の先行作品と位置づけた芸術選奨新人賞受賞作『それぞれの秋』(1973年、TBS)の第1話が上映された。続いて、これを含め7本の山田作品に出演した俳優の小倉一郎さんと佐江子さんのトークショーが行われた。佐江子さんは「『それぞれの秋』で小倉さんが演じた次男も『岸辺のアルバム』で国広富之さんがふんした弟も優しいから、家族のことをあれこれ心配していた。あれは小田原高時代の父ですね」と語り、こんなエピソードを披露した。「放課後は早く帰って夕飯を作らなければいけないから、いつも午後4時8分小田原発の下り電車に乗った。級友たちからは『4時8分の男』と呼ばれたそうです」(笑い)。
芸名の「一郎」を俳号の「蒼蛙(そうあ)」に改めた小倉さんは「山田さんが書くせりふは覚えやすく、すぐ体に入っちゃう。それでいて、ドラマを見終わったら、必ず何かが残るんです」と振り返り、「山田さんの作品には駄作が1本もない」と強調した。そして、「山田作品は本やDVDでも語り継がれると思う。この図書館でも上映会をお願いしたい」と望んだ。

山田さんはある時期からオリジナルの脚本で通すことにしたが、原作を脚色する仕事を引き受けた例外もある。太平洋戦争中に疎開した少年を主人公とする柏原兵三の小説と、それを漫画化した藤子不二雄Ⓐの作品を原作として、篠田正浩監督が映画化した秀作『少年時代』(1990年公開)はその一つだ。山田さんは自らの疎開体験を織り込んで、このシナリオを書いた。また、芸術祭大賞などの賞を総なめにした『時は立ちどまらない』(2014年、テレビ朝日)には、都市部育ちの少年が引っ越し先の港町で味わうカルチャーギャップがドラマの背景として描かれていた。これらは、少年時代の湯河原生活に根差していたのではないか。湯河原の町立図書館には定期的な上映会の開催とともに、地元の視点からの山田作品の“読み直し”も期待したい。
常設展示「山田太一の仕事部屋~ドラマが生まれた場所~」
場所:湯河原町立図書館3階(JR湯河原駅から徒歩3分)
開館時間:午前9時30分~午後6時
休館日:月曜日ほか(詳しくは図書館のサイトでご確認ください)
※入場無料
👉 山田太一の仕事部屋|湯河原町立図書館
👉 一般社団法人 山田太一のバトンをつなぐ会 公式サイト
プロフィール

鈴木嘉一(すずき よしかず)
放送評論家
元読売新聞編集委員。「放送人の会」の理事・大山勝美賞選考委員長。元放送倫理・番組向上機構(BPO)放送倫理検証委員会委員長代行。著書に『テレビは男子一生の仕事 ドキュメンタリスト牛山純一』(平凡社)、『大河ドラマの50年』(中央公論新社)、『脚本家 市川森一の世界』(長崎文献社、共著)、『桜守三代 佐野藤右衛門口伝』『わが街再生』(いずれも平凡社新書)など。
・2026年度助成 イベント事業部門(前期)
「山田太一資料の保存・活用による次世代放送文化継承プロジェクト」
・2025年度助成 イベント事業部門(前期)
「山田太一が遺した膨大な資料をデジタルアーカイブ化して後世の放送文化の向上に寄与する。」
山田太一のバトンをつなぐ会
代表 長谷川佐江子
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