放送文化基金賞

寄稿

基金賞特集

第52回

遠い「死刑」を「自分事」に――当事者の肉声を追って

TBSテレビ 「報道特集」記者 西村匡史

                                    西村記者と被害者遺族

西村匡史さんが23年にわたって見つめてきたのは、事件や事故の被害者遺族から死刑囚、そして安楽死を選んだ人々まで、一人ひとりの「命」だった。とりわけ死刑をめぐる取材では、当事者に実名と顔を出して語ってもらうことを原則とし、カメラの持ち込めない拘置所では法廷画家のスケッチを頼りに、その実態を17年にわたって記録してきた。第52回放送文化基金賞放送文化部門での受賞を機に、現場で何を見つめ、何を考え、何を伝えようとしてきたのかを、西村さん自身の言葉で綴っていただいた。

「命」を追い続けた23年

                           西村記者と遺族の慰霊登山 御巣鷹の尾根

2003年のTBS入社以来、私は23年間にわたり一貫して「命」をテーマに取材を続けてきた。その対象は、事件や事故の被害者遺族から、死刑囚をはじめとする加害者側、さらには欧州で安楽死を選択した人々に至るまで多岐にわたる。

その覚悟を決定づけたのは、入社1年目に出会ったある老夫婦だった。1985年の日航機墜落事故(乗客乗員520人が犠牲)で3人の娘を喪った彼らは、高齢の身を押して大量の水を背負い、墜落現場である御巣鷹の尾根へと慰霊登山を続けていた。墓標に向かい、「熱かったね」とただひたすらに水をかける姿。それは炎の中で逝った娘を救えなかった親としての、切実な「罪滅ぼし」であった。

当初は取材を固辞されていたものの、手紙のやりとりを重ねるうちに少しずつ心を開いてくださり、以来23年、家族ぐるみの付き合いが続いている。絶望の淵に立たされたご夫婦が、何を支えに生きてこられたのか。その軌跡を伝えることが、深い悲しみを抱える人々の「生きるヒント」になると信じ、最初の6年間は無我夢中で被害者遺族の取材に奔走した。

私が追い求めてきたのは、被害者の姿を通して、人々の背中を生きる方向へと押す「生に向かう命」である。

                             西村記者と死刑判決を出した元裁判員

2009年、市民の誰もが死刑の判断を迫られる「裁判員制度」が始まった。司法記者であった私は、「死刑」についてしっかり伝えなければならない、と思った。

そんな折、21歳で裁判員として死刑判決を下し、今なおその重圧に苦しむ1人の男性と出会う。「死刑の実態を知らされないまま、市民に極刑の判断を迫られるのは不当だ」。彼の悲痛な叫びが、私を突き動かした。

現在、国が死刑に関する情報を開示することは極めて少ない。とりわけ確定死刑囚は、原則として、肉親や弁護士以外との面会や通信が厳しく制限され、分厚いベールに覆われている。しかし、加害者本人の肉声を引き出さずして、「死刑」の実態が明らかになることは決してない。

遺族との交流を重ねてきた私にとって、被害者の「命」は何よりも重い。だからこそ、その命を理不尽に奪った加害者の存在へと目が向いたのだ。「なぜ、彼らは凄惨な事件を起こしてしまったのか」。その背景に眼差しを向けなければ、真の再発防止策も社会が取り組むべき課題も見えてこない。私にとって加害者取材とは、被害者の命を見つめる延長線上にある。

“死刑囚”との初面会 緊張で喉が張り付くように渇く

                      西村記者と奥本死刑囚 宮崎拘置支所(画 根本真一)

確定死刑囚を報じたいと願っても、刑が確定すれば面会は叶わない。残されたチャンスは、被告人である期間か、刑確定後から処遇が変更されるまでのわずか10日前後しかない。

私が初めて殺人犯と面会したのは2013年のこと。妻と生後5か月の息子、そして義母の3人を殺害した奥本章寛死刑囚(犯行当時22)だ。宮崎拘置支所に勾留されている彼に手紙を何通も送って関係を築き、ついに面会の日を迎えた。

控室から面会室に向かう道すがら、緊張で喉が張り付くように渇いていた。これから対峙するのは、幼い我が子を含む3人の命を奪った凶悪犯だ。深呼吸をして冷静さを保ち、重いドアを開けた。

しかし、そこにいたのは、ごく普通の真面目な青年だった。犯行の引き金は、以前から度重なる叱責を受けていた義母から何度も頭を叩かれた上、出身地を差別的な発言で見下されたことである。3人の命を奪ってしまった後悔と謝罪の気持ち。そして、何よりも決して「償えない罪」の重さにただ打ちひしがれていた。

二審判決後、被害者遺族である男性が事件に至る経緯を鑑み「死刑と決めないでほしい」と最高裁に上申書を提出する異例の展開を見せたが、最終的に死刑が確定した。

最高裁判決の翌日、私は10回目となる最後の面会に向かった。その日、初めて涙を見せた彼は、静かにこう言った。

「最後の最後まで罪と向き合うこと。それが僕にできる唯一の償いだと思っています」

“密室”の死刑囚を描いた法廷画家

                           千葉死刑囚 仙台拘置支所(画 根本真一)

カメラの持ち込みが厳しく禁じられている拘置所内で、いかにして死刑囚の実態を伝えるのか。「映像がない」という理由だけで、放映時間が削られる現実に、私はなんとしても抗いたかった。そこで白羽の矢を立てたのが、普段から法廷で被告の様子をスケッチしている法廷画家の根本真一さんである。

根本さんは1966年にTBSに入社し、美術部で活躍した大先輩だ。ロス疑惑の裁判を機に法廷画家となり、定年後も「生涯現役」をモットーに85歳を超えてなお筆を握り続けている。彼ならば、密室の空気感や、死刑囚の心の機微を見事に描き出してくれるはずだ。そう確信した私は、根本さんに面会へ同席してもらい、その場でスケッチをするという新たな取材手法を開拓した。

これまでに根本さんが描いたのは、奥本章寛、千葉祐太郎、植松聖、白石隆浩、土肥(旧姓小松)博文という5人の死刑囚だ。長年培われた彼の圧倒的な画力がなければ、私の数々のドキュメンタリー番組は成立しなかった。17年にも及ぶ「死刑」当事者の取材を支え続けてくれた根本さんは、私にとってかけがえのない盟友である。

海外でも「死刑」当事者の取材

                          デネス死刑囚と西村記者 テキサスの刑務所

2019年から4年間、私はロンドン支局の特派員として赴任したが、その間もロンドンから日本の拘置所へ手紙を送り続け、一時帰国の際には面会を重ねた。

同時にベラルーシを除く全ての国が死刑を廃止しているヨーロッパの現状も取材した。殺人犯と遺族が直接対話し、加害者の更生と被害者の回復を目指す「修復的司法」の取り組みや、死刑制度について議論を交わす高校の授業風景などをカメラに収めた。

一方、先進国の中で今も死刑執行を続ける数少ない国であるアメリカ(一部の州)では、テキサス州の刑務所内でテレビカメラによる死刑囚のインタビューを敢行した。アメリカには「死刑制度を維持するためには、情報公開が不可欠である」という明確なスタンスがあり、死刑囚の執行現場の詳細までもがメディアに公開されていたのは、日本との決定的な違いであった。

なぜ「実名・顔出し」にこだわるのか

                                      奥本死刑囚の両親

国が「死刑」の実態をひた隠しにする中、私は死刑囚やその家族、遺族、そして裁判員に至るまで、原則として「実名・顔出し」での肉声を記録し続けてきた。なぜそこにこだわるのか。それは、社会から「他人事」として遠ざけられがちな死刑という究極の刑罰を、視聴者一人ひとりに「自分事」として考えてもらうためである。

私は決して、死刑の是非を問うために取材を続けてきたわけではない。死刑という重いテーマに正面から向き合い、真剣に考えてもらうためにカメラを向けてきたのだ。しかし、その代償として、取材に応じた当事者に厳しい批判が向けられることもあり、私の取材は常に重い葛藤と隣り合わせであったことを告白しなければならない。

悲しい出来事がきっかけであったとしても、取材を通して出会った方々の存在は、私にとって何物にも代えがたい「宝物」である。今回の受賞は、世間から批判というリスクを背負ってでも、「伝えなければならない」とカメラの前で口を開いてくれた当事者たちの勇気に贈られたものだと受け止めている。

テレビを取り巻く環境が難しい時代に入ったことは事実だ。しかし、このような複雑で先行き不透明な社会情勢だからこそ、テレビが果たすべき責任は減るどころか、益々、重くなっていると確信している。

これからも私は、血を流すような思いで言葉を紡いでくれた当事者たちのために、そして、社会に考えるきっかけを提示し続けるために、「命」の現場を歩き続けたいと思っている。

2026年7月8日 第52回 放送文化基金賞 贈呈式にて

プロフィール

西村匡史(にしむらただし)
1977年、新潟県生まれ、東京都出身。2003年にTBS入社。報道局社会部で警視庁、横浜支局、検察庁、裁判所を担当後、「NEWS23」のディレクター、司法キャップ、ロンドン特派員を経て現在、「報道特集」のディレクター。事件、事故などの被害者取材から、死刑囚やその家族などの加害者側の取材、欧州を舞台にした安楽死に至るまで、一貫して「命」をテーマにした特集を手掛ける。映画監督として「“死刑囚”に会い続ける男」、「さっちゃん最後のメッセージ ~地下鉄サリン被害者家族の25年~」、「彼女が選んだ安楽死 ~たった独りで生きた誇りとともに~」、「ある日、家族が死刑囚になって」を制作。著書に「悲しみを抱きしめて 御巣鷹・日航機墜落事故の30年」(講談社)。「報道特集」の放送後、大きな反響を呼んだ特集記事「安楽死を考える スイスで最期を迎えた日本人 生きる道を選んだ難病患者」で、2024年の「LINEジャーナリズム賞」年間大賞を受賞

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