HBF 公益財団法人 放送文化基金

文字サイズ:

HOME読む・楽しむ「性別」にもグラデーションがある  泉 優紀子 × 山﨑 裕侍 × 桐野 夏生

読む・楽しむ 放送文化基金賞特集
放送文化基金賞の受賞者へのインタビュー、対談、寄稿文などを掲載します。

2023年10月2日
第49回放送文化基金賞

鼎談

ドキュメンタリー [最優秀賞]

「性別」にもグラデーションがある

泉 優紀子 × 山﨑 裕侍 × 桐野 夏生

 『性別は誰が決めるか ~「心の生」をみつめて~』(北海道放送)がドキュメンタリー部門の最優秀賞を受賞した。
 「性同一性障害特例法」では性自認と身体の性を一致させなければ戸籍の性別を変更できないとされている。揺れ動く当事者たちの思いを繊細に描き、多様性といいつつも社会の無理解と差別は実は法の中にも存在していることを鋭く追及した作品と高く評価された。ディレクターの泉優紀子さんとプロデューサーの山﨑裕侍さんに桐野夏生委員長が話を聞いた。

泉 優紀子さん(いずみ ゆきこ)北海道放送
コンテンツ制作センター報道部 記者

山﨑 裕侍さん(やまざき ゆうじ)北海道放送
コンテンツ制作センター報道部 デスク

桐野 夏生さん(きりの なつお)ドキュメンタリー部門審査委員長

【あらすじ】性別は誰が決めるか ~「心の生」をみつめて~
 きみちゃんは身体が女性で、心が男性のトランスジェンダー男性。パートナーであるちかさんは、身体も心も男性。2人は“心が男性どうし”のカップルだ。心が男性のきみちゃんのおなかには、2人の新しい命が宿っている。きみちゃんはかつて、男性として生きていくため性別適合手術を受けようとしたが、子どもを持つ将来を描くようになり、手術をやめて戸籍を女性のままにした。日本では、戸籍の性別変更には生殖腺(精巣や卵巣)がないことなどが条件になっている。
 トランスジェンダー男性の崇来人(たかきーと)さんは、性別変更に身体の負担が大きい手術を受けることは必要がないと訴えてきた。トランスジェンダー女性のありすさんは、性別変更のため家族に支えられながら手術を受ける。生き方や考え方には、グラデーションがある。「性別」とは何か、誰が決めるのか。

桐野

 最優秀賞おめでとうございます。大変すばらしい作品でした。

山﨑

 ありがとうございます。

桐野

 このテーマで制作しようと思った動機をお伺いできますか。

 LGBTQについて取り上げたい!という強いテーマを、初めから持っていた訳ではないんです。札幌では毎年「レインボープライド」というイベントが開催されているのですが、その取材のときにちかさんが働いているバーを紹介してもらい、ちかさんと、きみちゃんと知り合いました。ある日「実は子供が出来たんです。取材しませんか?」と、ちかさんから言ってくださったんです。

桐野

 ちかさんの方からですか?

 そうなんです。二人とも自分たちの身をもって、世間に伝えたい気持ちがあったのだと思います。きみちゃんが「自分自身が世間の目で苦しんでいて、この子もそれを経験する可能性が高い。でもそれも一緒に乗り越えていけたら」と話す表情を見たとき、これはしっかり伝えていかなければと感じました。

桐野

 ありすさん、たかきーとさんとはどう知り合ったのですか?

 ありすさんは、新型コロナ緊急事態宣言が出たときに他の記者が取材していたバーのマスターが紹介してくれました。性別適合手術を受ける人はこれまでもメディアに出ていましたが、まだまだ伝えきれていない情報があると、そのマスターにたくさんの事を教えてもらいました。本当にご縁をいただいて取材させていただきました。
 ありすさんの人生の節目に立ち会わせてもらえるということで、きちんと記録として残したいと思いました。
 たかきーとさんは、「手術を受けなければ性別変更できないのはおかしい」と裁判を起こした方がいるというのを知って、こちらからアプローチしました。

桐野

 「性同一性障害特例法」のことは知りませんでした。まだ一般的に認識がない中で法律が出来てしまって、逆にこの法律が人を苦しめていることに衝撃を受けました。
 この作品では、きみちゃんの複雑な思いや、ありすさんの悩みや苦しみなどを描き、それと結びついて普遍的な法律の話が出てくるので、柔らかい作り方というのでしょうか。すっと入ってきました。

人権侵害になっている可能性もある

 「特例法」が出来た当時は画期的だったそうです。自分の性別を変えられる道ができたんだと。でも、今回取材して、一番感じたのは、ひとつにカテゴライズしがちな中にも色んな価値観があり、自分が想像していた以上に「性別」にもグラデーションがあるということでした。私も、心が男性なら、身体も男性になりたいんだろうと思っていましたので、そうでない選択をする人がいるということは、最初はピンときていませんでした。きみちゃんに「それはどういうこと?」と正直に質問したり、それぞれの方たちをどういう立場として描けばいいのか悩みながら、自分自身の価値観も変えながら取材をしていました。

桐野

 性自認にはグラデーションがあると仰いました。そのことを視聴者はこの作品で気づかされたと思います。
 日本には根強い男女二分法があって、“男でないのなら女になりなさいよ。だったら、生殖腺も取りなさいよ。完全な女になりなさいよ。証明してみなさいよ。”というような強制的な何かを感じるんですよね。これは、実は人権侵害なんだということに気付きました。「性別は誰が決めるか」本当にこの通りだと思います。そして、性自認ってすごく難しいのではないかということも。
 たかきーとさんは、憲法違反だと訴えて、敗訴されたけど、裁判の中で「特例法制定当時より性別変更する人が増えて、社会認識の変化を考えると、憲法違反の疑いがある」という補足意見があったと。その後はどうなったのですか?

 今は積極的に裁判などの活動をすることは、一旦止めています。今の自分の暮らしを大切にしたいと仰っています。ただ、9月に別の方の裁判が最高裁であります。たかきーとさんの判決から数年経っていますけど、あのときの補足意見は他の裁判にも引用されていますから、またそこで注目されると思います。

桐野

 判決が変わる可能性もありますか?

 分かりませんが、「特例法」にもまた大きな関心がよせられるのではないかと思っています。

桐野

 手術をして身体を変えないと戸籍を変えられない。結婚もできないとしたら、色んな意味でかなり不利ですね。
 海外はどうなのでしょうか?

山﨑

 海外は“手術をしなければいけない”という要件がない国が多いです。

 ありすさんは、更衣室やトイレを使ったりするときは、「身体を変えていた方がいいのかな」とは思うと言っていました。確かに、今の社会をリアルに見たら、皆が混乱しないためにはそうしなくてはいけない側面があるのかもしれない。冷静に社会を見つめながら、リアリティのあることを仰っていると思います。

桐野

 確かにそうですね。

 今回、LGBTQ法案の可決・成立のときも、「女性の更衣室やトイレに身体が男性のままのトランスジェンダー女性が入ってきてもいいのか、立場を偽って悪用する人もいるのではないか」という意見が出ましたが、それは、議論がずれていたと思います。

桐野

 ずれていますよね。こういうことって、乗り越えるべきことなんだろうけど、偏見の心って乗り越えられないのではないかと、ちょっと絶望的な気持ちにもなります......。

山﨑

 手術の話でいうと、私は医療の取材も多いのですが、医者が言うには、健康な身体にメスを入れることほど残酷なことはないと。性別を無理やり適合させるために手術を強いるということが非常に人権侵害になっている可能性もありますよね。日本には「強制不妊手術」があった過去がありますし。なので尚更、これはおかしいということを伝えていかないといけないという思いもあります。

桐野

 ホルモン療法で副作用があるとも聞きます。性別を変える手術で失敗例とか苦しんだ例もあるのですか?

 日本だと手術するまでのハードルがかなり高くセッティングされているので、「あっ、やっぱり違った」とかいうことは少ないとは聞いています。ただ、安価な値段で気軽に手術が受けられる国だと、元々揺らぎを感じている人たちなので、あとから「こっちの性ではなかった」という風に感じる方も中にはいるようです。アフターケアーも大変で、手術自体も難しいですし、身体にはかなり負担がかかると思います。
 一方で、ありすさんのように病院に通って、性同一性障害と診断されて、手術を受けようとしている方もいます。

桐野

 ありすさんは、女性という形に生まれ変わって幸せになっていこうとしている訳ですよね。

 そうですね。手術が保険適用になることを目指している方もいます。ただ、セクシュアリティについていろんな認識が広がっていくと、保険適用になる、ならないという問題も曖昧になる可能性もあるのではと話をする人もいました。当事者間でも本当に立場がそれぞれなんですよね。
 きみちゃんが「中途半端と言われることも多いけど」とコメントしているように、LGBTQの方たちの中でもお互いに感じていることがあります。それは私たちが隣の誰かに何かを感じることとも、ある意味で共通していると思うんです。それを一辺倒にLGBTQの人たちはこうだから、こうして欲しいというのは違うと思います。それぞれ個々の事情があって、しんどさも違うのだと。そこは見誤ってはいけないと思っています。

桐野

 きみちゃんのように、心は男性だけど、身体は女性で妊娠して子供を産む。新しい形になってもいいのに、その辺のことが理解されない。あまりにも簡単に法律や世間が性別を決めているということに、むしろ悲しみに近いものを感じます。

何かを変えてゆく人たちは辛い目にあう

桐野

 放送後の反応はいかがでしたか?

 最初、ニュースの特集で放送したときは、思っていた以上のバッシングも来ました。でも、その後TBSの『報道特集』で放送したときは「応援しています」といった好意的なコメントが増えたんですよね。この違いは何なのかと今でも考えています。
 私が取材することで、彼らが傷つく、そう思うと取材に向き合う自信を失いそうになることもありました。きみちゃんから「なぜ泉さんに取材されているのか分かりません」「私たちがめずらしいからですか?」と言われたこともあります。何のために取材しているのだろうと考えさせられる機会が多かったです。

桐野

 何かを変えてゆく人たちというのは辛い目にあうと思うんですよね。その辛い目に立ち会っているのが泉さんのようなディレクターの方で、何のために自分は取材をしているのか、傷つけてしまっているのではないか、と思うこともあるかもしれませんが、それは何か新しく変わってゆくためには、必要なことだと思います。
 この作品にお出になっているきみちゃんも、ちかさんも、ありすさんも、たかきーとさんも勇気があるし、新しい認識を開いていっているんだと思いました。認識が広がるだけでも違う、変わってゆくと思います。それにはテレビの影響もあると思います。

山﨑

 確かにメディアの責任は大きいと思います。LGBTQについて、表現に気をつけなさい、人権に配慮しなさい。というガイドラインがあります。そのガイドラインにハマるように取材しがちなんですが、LGBTQと言われている人たちにも色んな性自認があります。クエスチョンの方もいますし、ひとつひとつの事象に向き合う考え方でないと、定型的な放送に陥ってしまうのではないかなという懸念がありました。今回、個々に向き合ういい取材ができたと思います。

 どうしても、身体と心の組み合わせというのでしょうか。自分たちが今まで見てきたものに押し込めようとするんですよね。

桐野

 規定があるわけではないし、クィアはどこにも当てはまらないということですよね。クィアにもこれからいろんな規定ができてくるのかもしれないし、放送する側もですけど、LGBTQの方たちも自分たち自身でも枠組みを決めていくような窮屈さがあるような気もします。そこを何とか突破して、きちんと伝えていく番組を作るのも難しいと思います。

きみちゃん、ちかさんとの信頼関係

桐野

 残念なことに、きみちゃんは死産してしまいましたが、よく取材されましたね。

山﨑

 年末に死産したと泉から報告がきたときは、もうドキュメンタリー番組にすることはできないと思いました。彼らがその事実を放送することを了解するのは難しいだろうと思いましたし、死産したということを隠して放送するのも難しいと。

 これもちかさんから「取材しませんか?」とお声がけいただいたからなんです。

桐野

 そうですか。

 最初、「死産しました」というラインだけが、ちかさんからきました。すぐに山﨑に電話したら、焦って取材したりしなくていいと。そうしたら、大晦日の前日にちかさんから、「赤ちゃんがお家に戻ってきているから、もしよかったら会いにきませんか?」とまたラインが来たんですよ。なんか嬉しいとも違うし、使命感とか、なんか色んな気持ちが入り混じった感じになったのですが、“会いに行きたい”と思って、デジカメを忍ばせて会いに行きました。
 赤ちゃんを抱っこさせてもらって、冷たいけどすごく可愛くて。二人は赤ちゃんに着せる予定だった服を色々着させたり、写真もたくさん撮っていました。私もきみちゃんと一緒に写真を撮ったり、そうこうして、落ち着いてきたときに、きみちゃんの方から「今日はカメラ持ってきていないんですか?」「泉さんならカメラ持ってくるんだろうなって思っていましたよ」って言ってくれたんです。私に取材してもらってもいいと思っていてくれていたんだな、と思いましたし、二人が赤ちゃんが居た証をたくさん残そうとしている感じがしたんですよね。私もこの二人の間にこの子が生まれたという証を残さないといけないと思って、カメラを回しました。

桐野

 すごくデリケートな問題だと思うのですが、よくここまでプライバシーをさらけ出してくれましたよね。被取材者と取材者との信頼関係が素晴らしいと審査委員の皆さんも仰っていました。だからこそ、心に迫って、色んな考えや立場があるということがよく分かるんですね。

山﨑

 私もLGBTQに対して偏見を持っていたと思います。当然彼らの存在を認めないといけないし、社会的に生き辛い場面が多いことを知ってはいても、分からない、共感できないところが私自身あったのですが、泉から色々な報告を受けて、取材した映像を見ていくうちに、そういう偏見が消えていくのが自分でも分かりました。泉が権利を主張するというより、普通のカップルなんだよということを描きたいということが、私自身をも変えてくれた、すごくうれしい仕事でした。

 私は比較的、人に密着する取材が好きです。今回は、ちかさんときみちゃんと年齢が近かったというのが良かったのだと思います。カメラを回していないときも、きみちゃんと一緒にうどんを食べに行ったり、ちかさんのお店に遊びに行くということもしていました。私の恋愛の話とかもするようになっていたので、ちょっと友達に近い関係。それが人によっては良くないと思われるかもしれませんが、そこが大きかったのではないかなと思います。

桐野

 なるほど。泉さんのキャラクターではないのですか?(笑)

 自分では分からなくて(笑)

桐野

 とてもいいことだと思います。そのあたりは作家の取材とは違いますね。私は取材に行っても向こうの心の中に入ろうとはあまり思わないものですから。その人間を想像するだけなので逆にあまり入らないようにしています。

新しい形の家族

桐野

 きみちゃんは乳腺を切ったと仰ってましたが、子宮を残したのは二人の子供が欲しいからですか?

 元々きみちゃんは子供が好きだったので、ちかさんと付き合ってから、好きな人との間に子供が出来るのならと子宮を取るのは思いとどまったと言っていました。

桐野

 では、これからも子供ができる可能性があるわけですね。

 実はまだ放送していないのですが、赤ちゃんが1月に産まれたんです。私もデジカメを持って会いに行って、抱っこさせてもらいました。また様子を見ながら取材できたらいいなと思っています。

桐野

 えっ!今年!それはおめでたいですね。明るいニュースで、うれしいです。
 その子はどういう育ち方をするんですかね。

 海外には同性カップルの間で育っている子供を主人公にした絵本などが作られているんですよね。二人はそういうのを集めたりしていて、お父さん、お母さんという感じではなくしたいと言っています。

桐野

 そうですよね。新しい形ですね。放送を楽しみにしています。
 ちなみに、泉さんは今後どんなテーマで番組を作りたいですか?

 今、この番組でやり切った感がすごくあって、やりたいものが具体的に決まっているわけではないんですが、人と人の境界線って曖昧だと思っているんです。いつ自分も障害がある立場になるかも分からないし、自分はLGBTQの非当事者だと思っているけれども、本当は何があるか分からない。国籍、宗教の問題も色々ありますし、“あの人たち何なの?”と思っても、実は自分とも近い存在だったり、変わらない何かもあるのではないか、ということが問いかけられるものを作りたいと思います。

桐野

 山﨑さんの今やりたいことは何ですか?

山﨑

 『ヤジと民主主義』の映画公開を冬に向けて頑張りたいのと、私も自分で取材するのが好きなので、時間があれば取材したいなと思います。ただ、泉みたいな若い記者が若い感性で、私だったら取材できないような世界を見せてくれるというのは面白いですね。作り手を育てていくのも大事なことなので一所懸命やっていきたいです。

桐野

 今、ニュースではあまり深追いしなくなりました。だから、ドキュメンタリー作品で深く知りたいという要望は皆さんあると思います。これからも頑張ってください。
 今日はありがとうございました。

プロフィール

泉 優紀子 さん (いずみ ゆきこ)
北海道放送 コンテンツ制作センター報道部 記者
1993年生まれ。北海道札幌市出身、北海道大学教育学院修了。2019年、北海道放送入社。以来、報道部に配属。道警、司法担当を経て、現在は札幌市政キャップ。
トランスジェンダー男性の妊娠を中心に、それぞれの当事者の思いを取材した『性別は誰が決めるか ~「心の生」をみつめて~』が、第47回JNNネットワーク協議会賞番組部門報道・ドキュメンタリー番組で奨励賞、第49回放送文化基金賞ドキュメンタリー部門で最優秀賞を受賞。

山﨑 裕侍 さん (やまざき ゆうじ)
北海道放送 コンテンツ制作センター報道部 デスク
1971年生まれ。北海道千歳市出身。日本大学卒業後、東京の制作会社入社。テレビ朝日「ニュースステーション」「報道ステーション」ディレクターとして犯罪被害者や死刑制度などを取材。2006年北海道放送に転職。警察・政治キャップや統括編集長などを歴任し現在はデスク。臓器移植や地域医療などドキュメンタリーを作り、民放連盟賞・ギャラクシー賞・芸術祭など受賞。映画「ヤジと民主主義 劇場拡大版」を監督(冬公開予定)。

桐野 夏生 さん (きりの なつお)
ドキュメンタリー部門審査委員長
作家。1998年『OUT』で日本推理作家協会賞、99年『柔らかな頰』で直木賞、08年『東京島』で谷崎潤一郎賞、09年『女神記』で紫式部文学賞、10年『ナニカアル』で島清恋愛文学賞、11年同作で読売文学賞を受賞。15年紫綬褒章受章。21年日本ペンクラブ会長に就任。23年『燕は戻ってこない』で毎日芸術賞と吉川英治文学賞を受賞。近著に『真珠とダイヤモンド』『もっと悪い妻』など。