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読む・楽しむ 放送文化基金賞特集
放送文化基金賞の受賞者へのインタビュー、対談、寄稿文などを掲載します。

2014年9月30日
第40回放送文化基金賞

寄稿

個人・グループ部門 [放送文化]

『X年後』のX年後…

南海放送 大西 康司

 南海放送 ドキュメンタリー映画『X年後』制作・上映グループは、地方放送局の活動の幅を広げる意欲的な取り組みが評価され、個人・グループ部門〔放送文化〕を受賞した。プロデューサーの大西康司さんに、取材のきっかけから映画化に至るまで、そして今後に向けた想いを寄稿していただいた。

ドキュメンタリー映画『~放射線を浴びた~X年後』
 1954年アメリカのビキニ水爆実験では、第五福竜丸以外にも、実は同じ海域で1,000隻近い日本のマグロ漁船が同様に被ばくしていた。南海放送では高知県の調査団との出会いをきっかけに、これまであまり知られてこなかった「もうひとつのビキニ事件」の実態を10年にわたって調査報道し、10本の番組を制作。その集大成として映画『~放射線を浴びた~X年後』を制作した。現在も各地での上映に加え、希望者に映画を貸し出す自主上映活動を続けている。

 2004年に始めた『X年後』一連の取材活動も今年で10年を超えることになります。テレビ取材の中で1つのテーマを10年以上に渡り継続取材できることは幸運であったことに間違いありません。今回の受賞を機に「来し方」を振り返ってみると10年の間には幾つかの節目がありました。

『X年後』テーマとの出会い

水爆実験による放射性物質の広がりを示した図
(米・エネルギー省機密文書)

 伊東英朗ディレクターが、「1954年の福竜丸事件以外に、多くの被爆者が存在したことを知っていますか?」という問いかけを私に投げかけたことが、一連の取材のスタートでした。余りに巨大で、余りに遠い時代の「被ばく事件」。1人1人、生き残った人々の証言を積み重ねていくことが全てでした。そして…

合わせて8回 全国放送とローカル放送

 2004年、伊東ディレクターと私のコンビでの取材、番組制作が始まりました。ローカルエリアの深夜時間帯の放送を経て、初の全国放送となる日本テレビ系『NNNドキュメント~わしも死の海におった~』を制作。この全国放送は大きな勇気となりました。そして…

2011年3月11日

 取材開始から7年を経た、2011年。全国放送や地域での放送を実現しながらも、我々は悩んでいました。「遠い半世紀前の事件」・「目に見えない放射線被害」・「高齢の為、減りゆく一方の証言者」…など様々なハードルが横たわるこのテーマを、「これ以上継続していくことは難しいかもしれない…」と。
 3月11日、東日本大震災によって原発事故が発生。人々の関心は一気に放射能に集まりました。「X年後だからこそ伝えられる事実がある」「今こそ伝えなければいけない」我々は迷いを振りきり、取材に集中しました。そして…

自主映画制作

 2012年9月15日。地元松山と東京の2館で、我々が制作したドキュメンタリー映画『~放射線を浴びた~X年後』が封切りとなりました。東日本大震災の影響もあり、様々なメディアで事前に取り上げて頂いていたにもかかわらず、伊東ディレクターも私も不安に苛まれていました。「どれほどの人達が来てくれるのか?」「私達の積み重ねてきた取材を受け入れて貰えるのか?」…そんな際限ない不安を背負いつつ、伊東は東京、私は地元の映画館に向かったのです。
 思えば、封切りに先立つこと約1年…「8年積み重ねてきた蓄積をこのまま眠らせたくない」「テレビ放送だけでなく1人でも多くの人に見て頂く機会はないのか?」「この事実を後世に伝えるには?」そんな2人の‘夢語り’から始まったのがこのドキュメンタリー映画制作のきっかけでした。殆どアルコールが飲めない伊東と決して嫌いではない私が、‘映画化の夢’を何度となく深夜まで居酒屋で語り合いました。2人の想いは決まりました。しかし、地方放送局にとって「メディアの境界」を超える「映画の世界」は途方もなく遠いものです。膨大な取材素材は残っているものの「予算は?」「配給は?」そして何より「映画として観て頂けるのか?」…本当に暗中模索。どこから手を付けていいかわからない状態。そんな中で、日本テレビ「NNNドキュメント」スタッフからの応援、ドキュメンタリー映画を愛してくれる優れた配給者との出会い、そして何より社のトップをはじめとした「やってみよう!」という声にグイグイと後押しされる形で、封切り日を迎えることが出来たのです。そして…

9月15日・封切りの日

自主上映会での伊東監督トークタイム

 東京の上映館も松山の上映館にも想像を超えた多くの観客が訪れてくれました。特に東京では、上映後に実施する伊東ディレクターのトークタイムにおいて、観客の皆さんからの質問や激励が相次ぎ熱気に溢れました。この2館の上映を皮切りに全国の映画館、さらにPTA単位や職場のグループ、大学祭やゼミ活動、時には数人の集まり等で開催される「自主上映会」は、封切りから約2年経た現在、約200団体で実施され、約2万5000人の人達に、この映画『X年後』を観て頂けたことになるのです。一度に多くの視聴者に番組を届けることができるテレビの特性とは違い、1回1回は数十人規模が多いドキュメンタリー映画の世界。しかし、我々の『X年後』を観たい!と会場まで足を運んでくださる皆さんには、より確実に、より深く我々のメッセージが届いているはずです。伊東ディレクターは現業の仕事をこなしながら1回でも多くそういった自主上映会に参加し、観客の皆さんと意見交換をしたい…と今日も全国を飛び回っています。そして…

『X年後』のX年後…

 こうした様々な節目を過ぎ、広がりが見えてきた『X年後』ですが、伊東英朗ディレクターは今も更なる取材を進めています。このテーマには解明し知って頂くべき事実がまだまだ歴史の中に多く眠っています。これからもテレビでの放送活動はもちろん、映画での続編制作・上映活動、さらには海外での上映活動…などを通じて、この大きなテーマに取り組んでいきたいと考えています。これから先「X年後」の終着点を目指して。

プロフィール

大西 康司 さん (おおにし こうじ)
南海放送 取締役執行役員 報道制作局長
1982年、南海放送入社。約10年に渡り『X年後』関連番組に携わり、映画『~放射線を浴びた~X年後』プロデューサー。様々な地域発番組の制作・プロデュースに関わり、放送文化基金賞・ギャラクシー賞・地方の時代映像祭など受賞。2014年6月より現職。

2014年9月30日