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各地で行われた制作者フォーラムの模様を、参加者の声を交えて伝えます。

2014年12月25日

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レポート+寄稿

 2014年年11月29日(土)、30日(日)の2日間にわたり、秋田市のにぎわい交流館AUにて、北日本制作者フォーラム実行委員会と放送文化基金が主催する、「北日本制作者 フォーラムin あきた」が開催されました。
 このフォーラムには、北海道と東北6県にある全民放とNHK、計40の放送局が協力し、制作者を中心に、2日間でのべ100人が参加しました。
  テレビマンユニオンの今野勉さんの基調講演、続いて「地域の元気 テレビの元気」と題して、パネルディスカッションが行われ、テレビの現状をふりかえりながら、テレビは地域に対して何ができるのかが真剣に語られました。
  続けてのミニ番組コンテストには24作品が参加し、今野勉さん、作家の西木正明さん、上智大学教授の音好宏さんが審査に当たりました。
 翌日は、優良番組を見る会と題し、『フェンス ~分断された島・沖縄~』(BS-TBS)、と『祐梨、伝える~南三陸女子高校生~』(仙台放送)を上映し、それぞれの制作者である真木明さん(BS-TBS)、西村和史さん(仙台放送)の話を聞きました。
 盛りだくさんのプログラムで、熱のこもった議論、制作者同士の交流が行われた2日間となりました。

 ミニ番組コンテストでグランプリを受賞した岩下 恵子さん(HBC 北海道放送)、真木 明さん(BS-TBS 報道部長)、実行委員の吉富 亮平氏(NHK秋田放送局 放送部長)に、フォーラムの感想をお寄せいただきました。

最優秀賞受賞
「幻の札幌五輪」
岩下 恵子 (HBC 北海道放送 報道制作センター報道部)

 札幌に暮らしている人でさえも、その存在を知る人は少ない、1940年の「幻の札幌五輪」。戦争により、開催直前で中止となったオリンピックです。2014年2月のソチオリンピック期間中、ローカルニュースの特集として取り上げるべく、取材を始めました。1940年前後の新聞記事から情報収集したり、歴史に詳しい人から直接話をきいて歩いたり…普段、事件や事故など、ストレートニュースの取材ばかりしていた私にとって、新鮮な体験でした。そんな中、札幌五輪に出場するはずだった、ひとりのスキージャンプ選手・久保登喜夫さんの存在が明らかになりました。戦争にオリンピック出場の夢を奪われた登喜夫さんは、後に特攻隊員となり、その命までも奪われることになりました。「自分もいつまで元気でいられるか、もうわからないから…」そう言って取材にこたえてくれた、登喜夫さんと同じ特攻隊に所属していた84歳の男性は、これまであまり語ってこなかった当時のことを話してくれました。戦争の時代から時が経ち、私自身、当時の話をきく機会も少なくなった世代だと思います。記者という仕事を通して、悲劇が繰り返されることのないよう、戦争の記憶を語り継いでいかなければと感じています。

「そうか、『孤軍』では、ないんだ」
真木 明 (BS-TBS 報道部長)

 「地域に根ざした番組の作り手」が集う催しに、どうしてBS局で働く私なんぞに お声がけ頂いたのか、不思議に思いながらの参加だった。ところが、どっこい。これがとても刺激的な経験になった。
 元岩手放送・関芳樹さん、信越放送・手塚孝典さん、というベテラン、気鋭の名高い作り手とご一緒したパネルディスカッションでは、「なるほど、あの作品群の舞台裏には、そういう戦いがあったんだ」と、教えられた。
 そしてミニ番組のコンテスト。次々に提示される数分のVTR。審査員の方々と違って、初めは、後ろで、のんびりと見ていた。それが、しだいに居ずまいを正すことになった。「こりゃ、まずいぞ」。
 その後、懇親会で、制作した方々と、語り合ってそれは確信になった。実は、自分はBSで予算と人員が限られる中、いかに工夫してドキュメンタリーを作っているかを、密かに、いや公然と自慢していた。ところが、コンテストに出品した各局の若手・中堅ディレクターの方々の多くは、撮影取材を「基本1人・最多2人」でやっていることを当然とし、それに伴う工夫を、とても具体的に情報交換していた。企画の視点について深く論じ合っていた。NHKも民放も系列も越えて。自分が恥ずかしく、そして面白くなってきた。こんな場があったんだ。
 やがて始まったコンテストの審査結果発表・表彰でハプニングが起きた。トロフィーが足りない。「作品の熱におされて予定より多く賞を出してしまった」と頭をかく審査員の方々に、温かな共感の拍手が起きた。
 テレビがつまらない、曲がり角だ、と言われて久しい。「そんなことは、ない。自分たちのチームは…」と、巨大な局舎の片隅で「孤軍奮闘」と、気負っていたのかもしれない。亡き筑紫哲也さんの「残日録」をたどる番組を制作した時、彼が自分の社にこもってないで「他流試合をすることの大事さ、楽しさ」を繰り返し書き遺していたことを思い出す。このフォーラムに参加して気づかせてもらった。  そうか、僕たちは、孤軍なんかじゃないんだ。

実行委員
「ただただ感謝です」
吉富 亮平 (NHK秋田放送局 放送部長)

 まず、基調講演をお願いした今野勉さん、パネルディスカッションにご参加いただいた関芳樹さん、真木明さん、手塚孝典さん、音好宏さん、そしてミニ番組を審査していただいた西木正明さん、皆様に感謝申し上げます。ありがとうございました。
 振り返ると、6月に前任者から引き継ぎを受けてから、11月末の本番まで、いくつもの「初めての××」を乗り越えなければなりませんでした。「民放の方々との共同イベント」も初めてなら、「紙のリーフレット製作」も初めて。また、NHKの放送と関係あるとは言えない行事である以上、局にはできる限り負担をかけないような配慮も必要でした。そんな中でとても有り難かったのは、VTRのセッティング、ミニ番組の一本化作業、そして当日の運営サポートなどに当たってくれたNHK秋田の皆さんの支援、そして、前回の代表幹事である岩手めんこいテレビの君沢さんからいただいた丁寧なアドバイス。こうしたヘルプがなければ、衆議院選挙に向けた準備が始まって、様々な案件に追い立てられる中で開催に漕ぎ着けることはできなかったでしょう。皆様、本当にありがとうございました。
 迎えた当日、そして衆議院選挙の公示日目前で、リーフレット配布の遅れや周知不足などもあって盛況とは言い難く、動員面での努力不足を感じさせられました。一方で、1日目のミニ番組公開審査までトラブルなく終わり、夜の懇親会で、遠く秋田まで足を運んでくれた皆さんが和気藹々と談笑している様子を眺めながら、「ああ、制作者って、自分が作った番組をきっかけに割と気軽に交流できるんだ」ということを実感できたことで、それまでの日々のあれやこれやがすべて報われた思いがしました。
 さらに、開催にあたっては、2日にわたって各業務をきっちりと進めていただいた秋田民放3局の方々の支援も欠かせませんでした。ありがとうございました。みちのく映像祭が始まってから数えて18年、北日本で育てられてきたこのフォーラムが大きな“求心力”を持つゆえに、こうした様々な支援が集まり、制作者が交流する貴重な場の提供につながったのだと思っています。