放送文化基金賞
『虎に翼』ヒロイン伊藤沙莉が語る、寅ちゃんと歩んだ日々
第51回放送文化基金賞 ドラマ部門 最優秀賞 演技賞
聞き手 長谷川朋子

第51回放送文化基金賞で、『連続テレビ小説 虎に翼』がドラマ部門の最優秀賞と演技賞をダブル受賞しました。その舞台裏で、伊藤沙莉さんは何を感じ、どのように寅子を生きたのか。共演者やスタッフ、そして視聴者への感謝の思いとともに語られたその胸中を、ドラマ部門審査委員・長谷川朋子さんが、オークラ東京で行われた贈呈式直前に聞きました。(以下、敬称略)
長谷川
本日はおめでとうございます! これまで“朝ドラ”は数多くの名作を生んできましたが、最優秀賞を受賞したのは『虎に翼』が史上初なんです。受賞のお気持ちをお聞かせください。
伊藤
史上初、と聞いて、本当に驚きましたし、心から嬉しく思っています。大切に向き合ってきた作品がこうして評価されたことは光栄です。何よりも、支えてくださった共演者やスタッフの皆さん、見守ってくださった視聴者の方々、すべての方に心から感謝しています。 私はそもそも自信があるタイプではなく、自分が“朝ドラ”のヒロインを務められるとは思っていませんでした。以前お仕事をご一緒したプロデューサーの尾崎さんが私の名前を挙げてくださったこと、監督の梛川さんが撮影中、ずっと近くで話し合いながら一緒に寅子を作り上げてくださったことが大きな支えでした。また、キャストやスタッフの方々一人ひとりの力も大きく、最初に私の背中を押してくれたチーフマネージャーさんや、現場で常にサポートしてくれたマネージャーさんなど、皆さんのおかげで最後まで走りきることができたと思っています。
今の時代にも届く、だれもが肯定される物語
長谷川
審査会では、満場一致で最優秀賞に決まったんですよ。私は毎朝リアルタイムで拝見していました。「はて?はて?」ばかりの状況の中でも、寅ちゃんは潔く自分の道を突き進んでいきましたよね。キャスト、演出、脚本、音楽……どれを取ってもチャレンジングで、心に残る作品だったと思います。
伊藤さんは、この作品のどこに一番魅力を感じていますか?
伊藤
作品の魅力といえば、やっぱり物語の題材と切り口ですね。“法律の世界の話”と聞くと難しいと思われがちですが、吉田さんの脚本がとても面白くて、難しさを感じさせないところがすごいと思いました。私は普段、台本を読むのに時間がかかる方ですが、『虎に翼』は話の先が気になって、スルスルと一気に読めてしまったんです。脚本が面白いからこそ、演じる私たちのモチベーションも高まって、「もっと良くしよう、面白くしよう」という空気が現場にあったのも恵まれていたと思います。それに、この作品は多様性というテーマを通して、今の社会が抱える問題を映し出しているように思います。物語の舞台は戦時中から戦後にかけてですが、現代とも重なるところも多く、時代を超えて多くの方に共感していただけたのではないでしょうか。そして、“一人ひとりの人生を肯定する物語”だとも思っています。女性初の弁護士という輝かしい経歴を持つ寅子もたくさんつまずくし、専業主婦の花江の生き方も、男装を貫く山田よねの精神も、人はどんな人生を歩んでも、どんな選択をしてもいいんだよ、というメッセージが見てくださる方に伝わったのかなと思っています。

長谷川
私もそうですが、視聴者の皆さんも多彩なキャラクターの誰かに自身を置き換えて見ていたからこそドラマに引き込まれたんでしょうね。それにしても、朝ドラは長い歴史がありますし、NHKを代表する番組でもありますよね。プレッシャーはなかったですか?
伊藤
もちろん、ありました。最初は不安で、すごく緊張していました。その気持ちを一人で乗り越えるのは無理で、たくさんの方に支えていただいたおかげで、現場に立つことができました。朝ドラの撮影は長丁場なので、「最後まで耐えられるかな」と思っていましたが、実際にはみんなと一緒に過ごす時間、毎日の撮影が楽しくて、いつの間にか不安を忘れていました。もちろん主役としての責任は感じていましたが、プレッシャーで悩む暇もなく、「どうすればもっと良くなるか」だけを考える毎日でした。それはキャストやスタッフの皆さんも同じ思いだったと思います。
寅子の魅力は“ちゃんと失敗するところ”
長谷川
なるほど。みんなで楽しく番組を作る気持ちがプレッシャーに勝ったんですね。伊藤さんは、寅子のどんなところに一番惹かれましたか?
伊藤
そうですね。“ちゃんと失敗するところ”かな。寅ちゃんもヒロインだからといって全然完璧じゃない。むしろ誰よりもたくさん失敗してる。失敗した後に、自分の考えや経験をきちんと学びに変えていけるのって、本当に物事に向き合っている人じゃないとできないと思うんです。人は、つい自分の正義を貫きがちですけど、寅ちゃんは自分を疑うこともできる。そこがとても信用できるし、人としてすごく魅力的だなって思って。余計なことを言ってしまうことも多いけど、失敗を恐れず進んでいく姿こそが、寅ちゃんの一番の魅力だと思います。
長谷川
私も、寅ちゃんが人としても弁護士としても成長していく姿を見守るのが大きな楽しみでした。寅ちゃんにとって一番大きな転機になった場面は、どこでしたか?
伊藤
寅子の成長のきっかけはいくつもありますが……。やはり日本国憲法第14条に関わる場面でしょうか。『虎に翼』も冒頭から、第14条を軸に描かれていて、戦争で夫の優三さんや兄を亡くし、妊娠を機に弁護士の仕事を辞めるなど、つらい出来事が続き、寅ちゃんの世界は次第に色を失っていく。でも、第14条ができて新しい時代を知り、河原で立ち上がったあの瞬間から、寅ちゃんの“第二章”が始まったと思います。人として強くなり、母として、家族を支える柱になる覚悟が決まった瞬間だったと思います。


法律の言葉を自分の言葉にするまで
長谷川
そのシーンが思い出されます。伊藤さんご本人からそのお話を聞けて、大変貴重です。では、演じる中で、特に難しかったシーンはどこでしたか?
伊藤
そうですね、特に10週目以降で寅子が法曹界に戻り、法律の改正に関わる場面が大変でした。寅子が何に怒り、何に異議を唱えているのかをきちんと伝えるには、法律の内容や背景を深く理解していなければ、ただ感情だけが空回りしてしまいます。弁護士としての専門的なセリフも多く、“この法律で誰が、どのように守られるのか”を自分の中で腑に落とすことが難しかったです。特に法改正の場面では、何が問題で、なぜ女性たちが声を上げなければならなかったのか、その理由を知ることが不可欠で、法律の背景まで深く勉強して役に臨んだのは、私にとって初めての経験でした。

長谷川
どうやってその難しさを乗り越えたのですか?
伊藤
法律の先生がそばにいてくださったことで、安心感がありましたし、演出の梛川さんがいつも分かりやすく噛み砕いて説明してくれました。梛川さんとは、とんでもないほどの時間をかけて、毎日のように話し合いながら、演じる上でのさまざまな方向性を探っていきました。また、感情が自然と湧き出るような脚本を吉田恵里香さんが書いてくださったことも、大きかったです。キャスト同士で、「こういうことって悔しいよね」「このシーンはどういう気持ちで演じようか」などと話し合う場面が多く、知らず知らずのうちにディベートを重ねていたんだなと思います。そうした経験は、人としても役者としても貴重だったと感じています。
全員大好き!でも特別な存在は…
長谷川
キャストの皆さんとそんな話し合いがあったんですね。『虎に翼』には、魅力的なキャラクターがそろっていました。特に思い入れのある人物は誰ですか?
伊藤
うわぁ~、難しい!全員、大好きすぎて……。あえて一人挙げるなら、寅ちゃんにとって最初の大きな壁だった“お母さん”。第1週の終わりのお母さんとのシーンがすごく好きです。最後には寅ちゃんの人生をしっかり肯定してくれた存在として、とても大きかったです。誰か一人選ぶなら、もう“お母さん”ってことで逃げさせてください(笑)。母は偉大!ってことで。

視聴者の声が支えに
長谷川
石田ゆり子さん扮するお母さんが「それでも本気で地獄を見る覚悟はあるの?」と寅子に詰め寄るシーンは印象的でしたね。寅子を演じて、改めてファンの皆さんにどんな思いを届けたいですか?
伊藤
長い作品を最後まで見てくださった皆さんに心から感謝しています。毎日、視聴者の方々の感想や意見を読むのがとても楽しみでした。
長谷川
熱量高くご覧いただいたファンの方もきっと喜んでいますよ。
伊藤
皆さんの感想には、普段は見過ごしてしまうけれど大切な怒りや思いが込められていて、深く心に残りました。例えば専業主婦の方の”あるある”や、働く女性の悩みなど、身近なテーマに共感して皆さんの心が少しでも動く瞬間に触れることができて、うれしかったです。
長谷川
最後に『虎に翼』の現場を経験して、ご自身の成長に繋がったと感じたことを教えてください。
伊藤
もともと感じていたことですが、改めて強く実感したのは、制作チーム一人ひとりの力の大きさです。プロフェッショナルが集まり、それぞれが役割を全うしながら、同じ方向を向いて良い作品を届けようと力を合わせた1年間は、とてつもなく幸せな時間でした。「やっぱりチームっていいな」と心から思えたこの気持ちを大切にしながら、これからもみんなで作品を作っていきたいです。そんな思いは、きっと作品にもにじみ出て、誰かの心に届くと信じています。

プロフィール
伊藤沙莉さん(いとうさいり)
生まれ持った芝居のセンスと確かな演技力でシリアスな役からコメディまで幅広い役柄をこなす実力派として、ドラマや映画、舞台などで活躍。近年の主な出演作に映画『ちょっと思い出しただけ』(2022年公開)、『探偵マリコの生涯で一番悲惨な日』(2023年公開)、ドラマ『ミステリと言う勿れ』(2022年フジテレビ)、『拾われた男』(2022年NHK)、『ももさんと7人のパパゲーノ』(2022年NHK)、『シッコウ!!〜犬と私と執行官〜』(2023年テレビ朝日)など。2024年度前期NHK連続テレビ小説『虎に翼』で主人公の佐田寅子を演じた。
主演を務めた映画『風のマジム』が9月12日全国公開。映画『爆弾』が10月31日に全国公開。
長谷川朋子さん(はせがわともこ)
ドラマ部門審査委員
ジャーナリスト / コラムニスト。国内外のドラマ、バラエティー、ドキュメンタリー番組制作事情をテーマに独自の視点で解説した執筆記事多数。「朝日新聞」「東洋経済オンライン」などで連載中。フランス・カンヌで開催される世界最大規模の映像コンテンツ見本市MIP現地取材を約15年にわたって重ね、日本人ジャーナリストとしてはコンテンツ・ビジネス分野のオーソリティとして活動中。著書に「Netflix戦略と流儀」(中公新書ラクレ)など。

【あらすじ】
『連続テレビ小説「虎に翼」』
主人公・寅子(ともこ・通称トラコ)は、女学校卒業後、結婚を勧める母を振り切り、日本で唯一の女性に法律を教える学校へ進学する。周囲から「魔女」と陰口をたたかれながらも法を学び続け、昭和13年には日本初の女性弁護士の一人となる。しかし弁護士としての職を得ても、寅子は女性であることによる困難に直面し続ける。日本は戦争に突き進んでいき、兄と夫を失うという悲劇にも見舞われる。焼け野原となった日本で、寅子は公布された日本国憲法に希望を見出し、裁判官になることを決意。戦争で親を亡くした子供たちや苦境に立つ女性たちのために、家庭裁判所の設立に奔走する。そして裁判官となった寅子は、志を同じくする仲間たちとともに、人々の身近な問題に向き合い情熱を注いでいく。日本初の女性弁護士として、そして女性裁判官の草分けとして、困難な時代を力強く生き抜きながら、寅子はその生涯をかけて法とは何かを問い続けた。
