放送文化基金賞

選考記

第50回

【第50回放送文化基金賞】ラジオ選考記

ラジオの特性


金田一秀穂

今の日本は、気づくととても暮らしにくい社会になっていて、多くの人々が自分が部分的に落ちこぼれつつあることを自覚しているのだが、そんな困惑はないことにされて、かき消されそうになっている。そのような状況のなかで、沈んでいる自然な普通の声を掬いあげ、共感を形成し、孤立を解消させるのは、ラジオの大きな役割だろう。
インターネットによる個のネットワークの出現によって、ラジオは終焉を迎えるという考えが一時はやった。ところがどっこい、ラジオ制作者は今年、見事にその意地を見せてくれた。
聞き手と送り手が隔てなく時間を共有できること、個ではなく参加する人の資格が緩く、しかも匿名性を守れること、制限がなく自由な表現ができてしまうこと、個人の芸のようなものを発揮させられること、専門家の技術や知恵が発揮できること…などなど。誰もできなかったことを、今年の応募作品群は見事に実現し表現してくれた。
ラジオはまだまだ死なない。今まで以上の可能性を未来に向かって見せていただけたのではなかろうか。

再び、新しいラジオの時代


小島ゆかり

深夜放送が若者のトレンドになった1960年代は、新しいラジオの時代の始まりだった。リスナーからの声を聞き、曲のリクエストに応える。ラジオが見えない誰かとの交流のツールになったのだ。そこではパーソナリティそれぞれの個性が番組の魅力を拡大して、今も続くラジオ番組の主流となった。しかし今回、そんなスタイルとはむしろ逆の、リスナーの声こそが主役になる優れた番組がいくつもあり、再び新しいラジオの時代の始まりを実感した。
『みんなでひきこもりラジオ』(NHK)は、開かれたタイトルのもと、ただただ当事者のメッセージを淡々と紹介していくだけであるが、陰の役割に徹するパーソナリティの力量によって、静かな心深い時間を共有できる。まさに新しいラジオの時代を象徴する番組と思う。
『星野源のオールナイトニッポン』(ニッポン放送)は、星野源の「いつも通り」の魅力を生かしながら、被災者の不安な夜をリアルタイムで支えた。従来のスタイルを残しつつ、聴く側になるラジオの役割を柔軟に果たした。スタッフ全員の陰の力にも拍手を送りたい。
『空想労働シリーズ サラリーマン』(RKB毎日放送)は、何よりも作る側がみんなでおもしろがり、そのパワーと情熱が、聴く側をさらにおもしろがらせる。斬新なアイデアに加えて、古さと新しさのマッチングが絶妙である。まさかラジオで「特撮」が実現できるとは!

くだらないの中に


齊藤潤一

「テレビの災害情報が怖くて、布団をかぶって耳を塞いでいた」。帰省した実家の金沢で能登半島地震に遭遇した学生がこう言っていた。
大きな災害が起きると、テレビやラジオは「報道特番」に切り替わり、震度や被害、ライフラインの情報などを長時間放送する。私もテレビ局で記者をしていた時、発災直後に被災者が求めているのは災害情報で、これこそがメディアの大切な役割だと考えていた。しかし『星野源のオールナイトニッポン』を聴いて、その考えが変わった。
能登半島地震翌日の1月2日は、年末に収録した放送を予定していたが、星野の提案で急遽、生放送に変更された。「一緒に不安になりましょう。きょうは一緒に時間を過ごすというのが目的だと思います」と語りかけ、普段通りの番組が始まった。1曲目は番組でお馴染みの『オマリーの六甲おろし』。その後も被災者から届くメッセージを紹介し、不安を共有しながら、いつも通り下ネタでも盛り上がる。自宅が全壊したリスナーからは「こんなラジオが嬉しい」とのメッセージが届いた。まさに被災者に寄り添う放送だった。これまでも議論されていたが、発災直後に必要なのは災害情報だけでなく、被災者の不安を和らげる普段通りの放送だと改めて気づかされた。
番組最後は星野の曲『くだらないの中に』。「くだらないの中に愛が 人は笑うように生きる」の歌詞が心に染みる。これも新しい形の「報道特番」なのだと思った。

大病院の待合室


須藤 晃

大規模災害が起こるたびに、ラジオがメディアとして活躍する可能性をいつも考える。今年は元日の能登半島地震の時に富山にいたのでまさに震度6強をまともに体験させられた。テレビも吹っ飛んで壊れてしまってスマホとラジオだけが情報源になった。そんな中で『星野源のオールナイトニッポン』が当日急遽変更して生放送することをSNSで発信して被災地の人々は飛びついて聴いたし、便りを送った。以前も東日本大震災の時に活躍してくれた。今回の1月2日の夜という窮屈な状況下でのニッポン放送の対応は素晴らしかったし、ラジオの筋力を見せしめた気がする。
他の応募作の中で一際驚かされたのはRKB毎日放送の『サラリーマン』。何事も企画意図を徹底することで照れがなく、笑えないレベルの味の濃いユーモアとアイロニーに満たされたプログラムになっていた。こういうものを作れる制作マンは重要だと思う。あえて新しい方向性を感じると言いたい。
そして今回最も惹かれたのはNHKの『みんなでひきこもりラジオ』である。まるで大病院の待合室で起こる、様々な人々の小声の話を聞いているようだった。NHKでなくては作れない。「ひきこもり」と打ち出したシリーズものをやれる民放はないでしょうね。穴ぐらに閉じこもった動物たちは、つながろうとしていることでもはや「ひきこもり」ではない、という光を感じさせて心が潤った。話を受けるアナウンサーが秀逸な医者のようだった。診断が下りる前の悩める人との心のひだは決して重たくはなかったと感じた。僕はこの番組を推したい。

ラジオでしかできないこと


玉田玉山

今回の選考では「ラジオでしか成しえない表現であるか」に重きを置いて拝聴させて頂きました。
特に素晴らしかったのが、『空想労働シリーズ サラリーマン』です。特撮という「撮影・映像の技術」のジャンルのドラマをラジオでやるという無理無体。しかし聴いているうち、音と声、パロディとギャグ、そして制作者の特撮愛、によって脳の中でしっかりと「自分だけの特撮」がはっきり繰り広げられていきます。ラジオの持つ想像力を喚起する力を存分に感じる作品で、他の媒体でやるよりもラジオでやるのが一番面白いだろうと思います。ラジオという手段を武器として振り回し、抜群に面白い笑える作品が出来てくる。ラジオの未来に明るさを見ました。
『みんなでひきこもりラジオ』も素晴らしかったです。問題解決やバズ、論破、といったこととは距離を置いた「居場所としてのラジオ」を感じました。この番組によって何か問題が解決することはないかもしれない。でも、このラジオを居場所にして持ちこたえることができる人もきっといる。ある種雨宿りみたいな場所を作るのに、ラジオが大変に適しているという、その居場所力の強さに気づかされました。ラジオの魅力の一つを明確に表現した素晴らしい番組であったと思います。
コンテンツ氾濫の現代において、その媒体で何を表現をするのか。講談という伝統芸能を生業とする私には重要な課題です。今回の選考を通じ大きなヒントを頂きました。

ラジオが社会の保健室に


山根基世

今日本のひきこもりは146万人!どう考えても社会のありように問題がある。どこが問題でどう変えれば生きやすくなるのか、まずは当事者自身の声を聴くべきだが、ひきこもる人の気持ちを聴き出すのは超困難。その難しいことをやっているのが『みんなでひきこもりラジオ』。番組にはSNSや手紙等、そして時には電話でも当事者からのメッセージが届く。それを紹介すると、当事者が又反応し当事者同士がつながっていく。ひきこもっている人の言葉には深い共感を覚えるものが多いが、時にあまりの絶望の深さにどう返答していいか息をのむ。パーソナリティ栗原望が見事だと思うのは、そういう場面で彼がきちんと絶句するところ。司会者という意識ではそのようには振舞えない。彼は一人の人間として、ひきこもりの人々と一緒に悩み、考え、伴走者という難しい立ち位置を保っている。みんなで乾杯の時間、焚火の音などの小さな仕掛けもいい。みんながつながる気分が癒しになる。「来月また生きて会いましょう」という最後の挨拶の切実さが胸に迫る。
奨励賞の『星野源のオールナイトニッポン』は、元日に起こった能登半島地震の翌日、収録してあった番組を生放送に切り替え、被災した人々に寄り添い「一緒に不安になりましょう」と呼びかけた。
今年の応募作品には、こうした不安や悩みを抱え、傷ついた人々に寄り添い、ささやかでも力になろうと志す番組が多く、今ラジオが「社会の保健室」のような存在になっているのを感じた。
RKB毎日の『サラリーマン』は、遊び心のある無謀な挑戦心を評価したい。

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