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寄稿

見えない熱狂の時代|WBCが問いかけるスポーツ視聴と放送の公共性

大井義洋(早稲田大学スポーツ科学学術院)

2026年3月10日、1次リーグ日本対チェコ戦が行われた夜の東京ドームシティ。編集部撮影

視聴率に現れない熱狂

2026年3月、日本ではワールド・ベースボール・クラシック(WBC)が大きな話題となった。SNSのトレンドには連日、侍ジャパンの選手名が並び、スポーツニュースも大会一色となった。

ところがテレビ局の視聴率表には、日本戦の数字が存在しない。今大会、国内の独占配信権を持つのはNetflixである。地上波での中継は一切なく、当然ながら視聴率調査の対象にもならない。「国民的熱狂」と報道される大会の実態が、数字としては何も見えない。これが2026年WBCが突きつけた、なんとも奇妙な状況だ。メディアには「地上波での放送はないのか」「Netflixの契約方法がわからない」という問い合わせが相次いでいるという報道もある。主に高齢者からの声だ。報道の熱量と、実際にアクセスできる人との間には、見えない断絶がある。

私はスポーツメディアを研究する立場から、この「見えない熱狂」に強い関心を持っている。熱狂はたしかにある。しかしその規模も、その届き方も、もはや正確にはわからない。これは単なる配信プラットフォームの変化ではなく、放送の「公共性」そのものを問い直す出来事ではないか。

地上波が作り出した「共時的体験」

少し時計を巻き戻そう。2006年の第1回WBCは、日本中が同じ画面を見ていた大会だった。決勝・キューバ戦の地上波中継は世帯視聴率43.4%を獲得。2009年の第2回大会でも同様の熱狂が続き、イチロー選手の決勝タイムリーはリアルタイムで何千万人もが目撃した。ともに平日の午前中にもかかわらずである。

このとき地上波テレビが提供していたのは、単なる「映像の配信」ではなかった。家族が茶の間に集まり、見知らぬ隣人と同じ瞬間に歓声を上げ、通勤電車では皆が同じ話題を口にする。メディア研究では、こうした同時的共有体験は「共時性(simultaneity)」あるいは「共在(co-presence)」と呼ばれ、放送メディアの社会的機能として重要視されてきた。これは放送メディアが本来的に持つ機能であり、文化的・社会的な意義の核心でもある。スポーツは、その機能を最もドラマティックに引き出すコンテンツだった。地上波とスポーツの組み合わせは、国民が同じ時間に同じ体験を共有するための、社会インフラとして機能してきたのだ。

Netflixが悪いわけではない

東京ドームシティの大型ビジョンに映し出された「LIVE ON NETFLIX」の文字。今大会の全試合はNetflixが国内独占配信権を持ち、地上波での中継は一切行われなかった。編集部撮影

2026年大会は、その構造を根底から変えた。Netflixが日本国内の独占配信権を取得したことで、WBCの中継は月額料金を支払い、デバイスを所有し、インターネット接続のある環境にいる人だけが視聴できるコンテンツになった。裏を返せば、Netflixに加入していない人は、物理的に視聴できない。

ただし、ここで明確にしておきたいことがある。Netflixが放送権を獲得したこと自体は、経済合理性を考えれば驚くことではないし、Netflixが悪いわけでもない。コンテンツで差別化し、加入者を獲得するというビジネスモデルは明快であり、巨額の放送権料を提示して獲得するのはビジネスとして当然の行動だ。問題の本質は、そうした市場の論理に対して日本が何も制度的な手当てをしてこなかった、いわば「制度設計の問題」である。

それでも「熱狂」は存在する。スポーツバーには整理券が配られ、SNS上では試合経過がリアルタイムで共有される。ハイライト動画は拡散し、報道の熱量は落ちていない。しかしこれは、「地上波時代の熱狂」と同じものだろうか。スポーツバーに行ける人、スマートフォンを使いこなせる人、Netflixに加入できる人。そうした「条件を満たした人」だけが熱狂に参加できる構造は、かつての地上波中継が実現していた「誰でも参加できる共有体験」とは、本質的に異なる。

韓国・台湾が実現していること

では、同じ大会を隣国はどう見ているのか。台湾では、ケーブルテレビとオンライン配信を展開するELTA TV(愛爾達電視)が全試合の独占放映権を取得した。ELTAは有料サービスだが、地上波の台視(TTV)やケーブル最大手の東森電視(EBC)にサブライセンスを供与している。その結果、台湾の視聴者には複数の選択肢が用意され、台湾代表の全試合を地上波テレビでも視聴できる環境が整っている。

韓国はさらに踏み込んだ対応をしている。韓国でも全47試合の配信権は有料OTTのTvingが持っているが、韓国代表の試合については、KBS・MBC・SBSの地上波3局が同時一斉放送するという、日本ではちょっと考えられない対応がとられている。民放各局が競合を気にせず横並びで同じ試合を放送するというのは、韓国独特の「国民的スポーツイベント」への向き合い方であり、視聴者にとっては視聴機会を最大化する慣習として定着している。

この背景には、韓国の「ユニバーサルアクセス権」制度がある。放送法に基づくこの制度は、国民的関心の高いスポーツイベントについて、有料放送だけでなく無料の地上波等でも視聴できる環境を確保することを義務づけている。オリンピック、FIFAワールドカップ、そしてWBCなどがその対象に指定されており、OTTが放送権を取得しても地上波での放映が義務付けられる仕組みになっている。

この日本・韓国・台湾の差は、制度設計の差である。韓国は「スポーツを見ることは国民の権利だ」という立場を法律に書き込み、台湾は放送事業者が自発的に視聴者の選択肢を広げる形で機能している。日本はその両方を欠いたまま、市場の論理だけに任せた結果、Netflix独占という状況が生まれた。

冷静な野球の母国・アメリカ

興味深いことに、MLBという世界最大のリーグが国内に存在するアメリカでは、国際大会よりもリーグ戦の方がスポーツ文化の中心に位置している。この構造的違いが、WBCに対する温度差を生んでいる。

アメリカの主要メディアにおけるWBC報道は、MLBシーズン開幕前のウォームアップ大会という位置づけが強く、国民的熱狂とは程遠い温度感だ。メジャーリーガーのWBC参加については選手会との交渉が常に必要で、負傷リスクを嫌うチームが主力選手の参加を制限するケースも多い。

この温度差は示唆的だ。WBCへの熱狂は、日本・韓国・台湾において特に強い。これらの国々では野球が「国民的スポーツ」として強いアイデンティティと結びついており、代表チームの活躍は国民的誇りに直結する。だからこそ、「誰もが見られる」ことの意味が大きい。

ユニバーサルアクセス権の議論は、視聴者の数よりも視聴の「平等性」に関わる問題だ。熱狂の熱量が高い国ほど、その平等性を守る制度的要請は強くなる。日本はまさにその条件を満たしているにもかかわらず、制度的な対応が追いついていない。

東京ドーム内に掲げられた参加各国のスター選手のフラッグ。フアン・ソト(ドミニカ共和国)、エドウィン・ディアス(プエルトリコ)、アーロン・ジャッジ(アメリカ)、大谷翔平(日本)らが並ぶ。編集部撮影

放送の公共性を問い直す

OTTプラットフォームが大型スポーツイベントの放送権を取得する流れは、今後も続くだろう。NetflixのみならずAmazon Prime VideoやDAZNなどのグローバルプラットフォームは莫大な資金力を持ち、スポーツコンテンツを成長の柱と位置づけている。しかし「公共放送や地上波は何のためにあるのか」という問いは、ここで正面から問われなければならない。

放送の公共性とは、単に公共放送局が存在することではない。「誰もが等しくアクセスできる」情報や文化体験を社会に提供することを指す。スポーツ中継はその最たるものであり、特にWBCや五輪のような国民的イベントは、社会的包摂の観点から「共有財」として扱われるべき性格を持っている。

加入できない、デバイスがない、インターネット環境がない。そうした理由で「見られない人」が生まれることは、テクノロジーの問題ではなく、制度設計の問題だ。韓国はその問いに答えを出した。日本はまだ答えを出していない。

新しい問いとして

筆者は現在、スポーツ国際大会における放送プラットフォームの国際比較研究を進めている。各国がどのような制度や市場構造のもとでスポーツイベントを視聴者に届けているのかを、比較制度分析の観点から明らかにする試みである。

今回のWBCは、その研究にとって象徴的な事例となった。大会をめぐる熱狂は確かに存在する。しかし、その規模や広がりは、従来のテレビ視聴率の枠組みでは捉えることができない。OTTを中心とする視聴環境のもとで、スポーツイベントの社会的経験は、従来とは異なる形で構成されつつある。

ここで改めて問われるのは、極めてシンプルな問題である。「誰がスポーツを見られるのか」。この問いは、単なるメディアビジネスの問題ではない。文化政策の問題であり、社会的公正の問題でもある。スポーツは長く、社会が同じ瞬間を共有するための装置として機能してきた。オリンピックやFIFAワールドカップ、そしてWBCのような大会は、単なる娯楽コンテンツではなく、社会全体が同時に経験する文化的出来事でもある。

しかし、もし視聴の機会が経済的条件や技術的条件によって分断されるのであれば、その共有性は次第に失われていく可能性がある。熱狂そのものは存在していても、それが社会全体にどのように広がっているのかを把握することは、これまで以上に難しくなるだろう。視聴率という指標が存在しないこの大会で、本当に誰も取り残されていないのか。その問いは、スポーツメディアの未来だけでなく、これからの放送文化のあり方そのものに向けて投げかけられている。

プロフィール

大井義洋(おおいよしひろ) 
早稲田大学スポーツ科学学術院 准教授
慶応義塾大学卒業、中央大学大学院戦略経営研究科ビジネス科学専攻卒業(経営管理博士)、ケロッグ経営大学院EDP修了。株式会社電通サッカー事業室長、スポーツビジネスソリューション局チーフ・ディレクターを歴任し、2025年より現職。専門はスポーツ経営戦略、スポーツメディア。


大井義洋さんは放送文化基金2025年度助成人文社会部門の助成を受け、2026年4月から「ユニバーサルアクセス権の国際制度比較と日本への適用可能性」の研究を実施します。

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