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がれきを笑いに変えた15年、サンドと南三陸を歩く

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【第31回】 『サンドのぼんやり~ぬTV 東日本大震災発生からまもなく15年 in南三陸町』(東北放送・2026年3月7日放送)

東日本大震災から15年。先週末あたりから、テレビでも節目の特番が並び始めた。震災を扱う番組というと、やはり思い浮かぶのはドキュメンタリーや特別番組だろう。もちろん、そうした番組が担う役割の大きさは重々承知している。とはいえ、それらを見る時、こちらもどこか身構え、覚悟を持って向き合わなければと思ってしまうのも確かだ。

だが、震災を伝える方法はそればかりではない。この『サンドのぼんやり~ぬTV』のような日常の番組のなかで、町を歩き、地元の人たちと触れ合い、ときには笑いも交えながら、震災の記憶に触れる。そんなかたちで震災を風化させないやり方もある。

とりわけこの番組は、当時、気仙沼での番組ロケ中、東日本大震災に遭遇したという経緯もあり、ことあるごとに被災地を訪ね、被災した人たちに寄り添いながら復興していく町の姿を見つめ続けてきた。毎年3月11日には気仙沼を訪れ、サンドウィッチマン(伊達みきお、富澤たけし)とスタッフが避難した安波山で発生時刻に黙とうを捧げてきた。そこに番組の姿勢がよく表れている。

この日、訪れたのは宮城県南三陸町。戸倉地区にある一軒のカフェに入り、店主から話を訊く。店を切り盛りするのは、料理上手の妻。2人の出会いは復興ボランティアだったという。サンド伊達の巧みな話術に乗せられ、自分たちのなれそめを語る店主。妻の母が「“がれき”を持ってってくれた」と娘を“がれき”呼ばわりしたのにはいささか驚いたが、そんなふうに“がれき”という言葉を笑いに変えられるまでの歳月に思いを馳せた。サンドのいるところに笑いあり。笑顔もまた復興の証なのだと思う。

そして、この日の目的は、サンドが前南三陸町長の佐藤仁さんに会うこと。震災当時、メディアに頻繁に登場し、被災地の窮状を訴え続けた人物だ。実はサンドの母校・仙台商業の先輩にあたるという。彼が20年以上務めてきた町長を辞めたと聞き、今回、訪ねたというわけだ。

「震災が無ければもっと早く辞めていた」。そう語る佐藤前町長。「再建するのが使命だった」「頂の見えない山に登るようだった」と当時を振り返る。メディアに頻繁に登場していたのは、「気仙沼や石巻という大きな市に挟まれ、埋没してしまうのではないかという危機感があった」からだという。その甲斐あって、15万5千人ものボランティアが登録。彼らは震災後も、継続的に、復興の様子を見に訪れてくれるという。

「3.11の次の朝、(町の風景を)見たとき、絶望しかなかった」「再建できるのかと思ったけど、口が裂けても言えなかった」とサンドを前に今だから語れる本音も。

昨年10月、町長を退任。現在は「南三陸311メモリアル」の特別顧問として、事前防災の重要性など、自身の体験を伝えている。

「雑魚寝だし、女の人を入れるのは可哀想だと思って、災害対策本部は男だけでやったので、全部、男目線になってしまった」ことを自分たちの失敗として挙げる佐藤前町長。「がれきをどうするかというような話ばっかりやって、障がい者、高齢者、子どものことが置き去りになってしまい、女性目線を入れなかったのは失敗だった」と。

私たちは彼らの言葉に耳を傾け、教訓として次の世代へ手渡していかなければならない。伊達が言う「30年限界説」。災害の記憶は30年で風化してしまうという危機感。だとすれば、その記憶をつなぎとめるために私たちに何ができるのか。『ぼんやり~ぬTV』の佇まいが、その答えを体現しているように思う。

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プロフィール

桧山珠美(ひやま たまみ)
HBF MAGAZINEでは、気になるテレビ番組を独自の視点で読み解く連載『日日是てれび日和』を執筆中。
編集プロダクション、出版社勤務を経て、フリーライターに。
新聞、週刊誌、WEBなどにテレビコラムを執筆。
日刊ゲンダイ「桧山珠美 あれもこれも言わせて」、読売新聞夕刊「エンタ月評」など。


“HBF CROSS”は、メディアに関わる人も、支える人も、楽しむ人も訪れる場所。放送や配信の現場、制作者のまなざし、未来のメディア文化へのヒントまで──コラム、インタビュー、レポートを通じて、さまざまな視点からメディアの「今」と「これから」に向き合います。

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