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連載

リアリティショーとしてのオーディション番組―『ASAYAN』の遺産―【塚田修一】

アイドル・オーディション番組が映す現代社会(連載第2回)

「食い入るように観ていた」──あの頃の『ASAYAN』の熱は、なぜ強く記憶に残っているのか。電話投票や合宿企画に見えるのは、努力や葛藤をショーとして見せる“リアリティショー化”だ。『ASAYAN』が残した形式を、現在のオーディション番組との連続性の中で考える。

ASAYAN』を観ていたあの頃

1989年生まれの作家、朝井リョウのエッセイの引用から始めよう。

オーディション番組『ASAYAN』を、一九九〇年代末当時私は食い入るように観ていた。(中略)当時「モーニング娘。」は、メジャーデビュー候補曲のパート割を決めるためのレコーディングに臨んでいた。オーディション時から注目を集めていた安倍なつみはセンター候補として最も有力だったが、彼女にとっての勝負曲「モーニングコーヒー」のレコーディングを終えたあと、ひとり涙を流す。そして、同期かつライバルでもある石黒彩を、柵越しに睨むようにしながら、彼女はこう呟くのだ。「あやっぺ(石黒彩)がうまく歌えていた」自分ではないメンバーが褒められていたこと、自分の歌うパートが一文字でも減らされるかもしれない予感、歌いたいという我欲に何かしらのブレーキがかかりそうになったことに、彼女は涙を流したのだ。誰のためでもない、百パーセント、自分のための涙。小学生だった私は、この姿にガツンとやられてしまったのだ。(朝井リョウ「大切なことはすべてASAYANが教えてくれた」『IN・POCKET』2014年7月:33-34)

1981年生まれの筆者も、高校生だった当時に同じ番組を観ていた。鈴木あみ、モーニング娘。、そしてCHEMISTRY。みんなが『ASAYAN』を観ていた時代が確かにあった。そして現在のアイドル・オーディション番組を視聴していると、“あの頃の『ASAYAN』”がオーバーラップしてくることがしばしばある。『ASAYAN』は、現在のアイドル・オーディションに通じる何かを創った番組であったのだ。ここでは、1990年代後半の『ASAYAN』を「アイドル・オーディション番組」としてひもとくことで、この番組が残した遺産を検討していこう。

『ASAYAN』から生まれたモーニング娘。のデビューシングル「モーニングコーヒー」

「夢のオーディションバラエティー」

『ASAYAN』の前身は、1992年にテレビ東京で放送が開始された『浅草橋ヤング洋品店』(以下、『浅ヤン』)である。総合演出を伊藤輝夫(テリー伊藤)が手がけ、いわば「素人」を面白がるバラエティ番組であった『浅ヤン』は1995年10月に『ASAYAN』へとリニューアルされ、「夢のオーディションバラエティー」と冠している通り、オーディションバラエティの色彩が濃くなる。

『ASAYAN』がオーディション番組として広く知られるきっかけとなったのが、1995年10月のリニューアル時に新設された、小室哲哉プロデュースのボーカリストをオーディションで選抜する「コムロギャルソン」というコーナーであった。ここから、kaba、taeco、asamiの3人で結成されたdosや、天方直実、亜波根綾乃を輩出した。

二つのオーディション企画

『ASAYAN』の数多のオーディション企画のうち、「アイドル・オーディション番組」として考察する際に重要な企画が、鈴木あみ(現・鈴木亜美)を輩出した「ヴォーカリストオーディションファイナル」(1998年2月)と、モーニング娘。を輩出した「女性ロックヴォーカリストオーディション」である。まずは「ヴォーカリストオーディションファイナル」から見ていこう。

東京・大阪・札幌・福岡にて地方オーディションが行われ、17名がスタジオオーディションに進み、そこから視聴者投票により5名となった候補者の中から、「最終決選投票」としてやはり視聴者による電話投票が行われる。そこで、802,157票を集めて第1位となったのが鈴木あみであった。番組では、1位となった鈴木に、サプライズとしてデビュー曲のプロデューサーが小室哲哉であることが明かされる。小室のプロデュースによるデビュー以降の彼女は、まさに「アイドル」的な人気を博し、活躍していくことになる。

この「ヴォーカリストオーディションファイナル」において注目すべきは、先述のように、「電話投票」という形で一般の視聴者がオーディション審査に直接参加することができたことである。ここに、『PRODUCE101』などの現在のオーディション番組における「国民投票」のシステムに通じるものを認めることができる。

この企画の少し前に放送されていた企画が、「女性ロックヴォーカリストオーディション」である。シャ乱Qのリーダー「はたけ」が中心となって、1997年4月から5ヶ月間にわたって同オーディションが行われた。同年7月には約1万人の応募者の中から最終候補者11名がお寺に集められ、4日間にわたる『怒涛のサバイバル合宿』が行われる。ダンスレッスンやボイストレーニングに加え、午前5時に起床しての朝のお勤め(読経)や掃除、自炊も課せられるハードなものであった。安倍なつみは、この合宿を振り返り、次のように述べている。「ダンスレッスンをやったスタジオがとにかく暑くて。そもそもダンスをやるのは初体験だったし。ついていくのがいっぱいいっぱいで、つらかったです。」(ASAYAN編、1999、『モーニング娘。5+3−1』宝島社:63)

こうして彼女たちが必死になって努力する過程や「素」の表情を逐一カメラが追い、ドキュメントとして放送した。ただしそこには「演出」が働いていた。この合宿でダンスの指導を行った夏まゆみは、次のように書いている。「レッスンは一日三〜四時間。真夏の暑い時期だったが、わたしは冷房を切り、汗だくでレッスンを行った。冷房を使わないのはわたしの信念だが、番組制作サイドへの配慮もあった。合格めざして必死にレッスンに取り組む候補者たちというドラマチック仕立ての〝絵〟が、制作者サイドの求めていたものだったからだ。」(夏まゆみ、2014、『ダンスの力』学研:56)

先述の安倍が述懐していた「暑くてつらかったダンスレッスン」は、夏によって「演出」されていたのである。

リアリティショーとしてのオーディション

ドキュメントでありながら「演出」が施されていること。それはリアリティショーである。リアリティショーとは、「一見ドキュメンタリーでありながら、そこに感動や笑いを生むための細心の仕掛けが施されている。視聴者は、その仕掛けの部分をわかったうえで事実と虚構の間のどちらつかずの部分を積極的に楽しむ」(太田省一、2020、「日本におけるリアリティショーの歴史と現状」『GALAC』2020年12月:14)ものである。「女性ロックヴォーカリストオーディション」には、『ASAYAN』の「リアリティショー」としての特徴が顕れている。

この『ASAYAN』のリアリティショー化は、番組の制作サイドが予め意図したものであった。『ASAYAN』の演出を担ったタカハタ秀太は次のように証言している。「当時ロスを拠点にしていた小室(哲哉)さんが、アメリカでMTVの『リアル・ワールド』という番組が人気なので、日本でもあんな番組できないかな、と言ったのがヒントだったんです。それで、ドキュメンタリーでいこうと。ただし、もっとショーアップして、オーディションバラエティという形にしました。」(「「電波少年」「ASAYAN」ドキュメントバラエティの功罪」『日経エンタテインメント!』2006年7月号:52)

このリアリティショー化を可能にしたのが、小型のデジタルビデオカメラの普及であった。それ以前であれば、撮影にはカメラマン、音声、ディレクターなど、最低でも3人1組で動く必要があったが、小型のデジタルビデオカメラの登場で、ディレクター一人で撮ることができるようになっていた。

リアリティショーは続く

「女性ロックヴォーカリストオーディション」は、最終的に平家みちよがグランプリを勝ち取る。「この番組は最初そこで終わる予定でした。ところが、オーディションの最終選考で落ちた10名の中にも、僅差で落ちた磨けば光そうなコがいるわけです。それで今度はその中から5人のコたちを選んで、僕[つんく♂]にプロデュースしないかと話が持ち上がったのです。『モーニング娘。』というグループ名を付けたのはその時です」(「『モーニング娘。』に見る変革ビジネス」『無限大』No.118:43)。

いわば「敗者復活組」であるモーニング娘。5人には、メジャーデビューの条件として、5日間でインディーズシングル『愛の種』5万枚を手売りするという試練が課せられた。ナゴヤ球場で見事5万枚を売り切り、メジャーデビューが決定した彼女たちには、デビュー曲のメインパートを誰が歌うのかをメンバー間で競い合う、『怒涛のデビュー曲大争奪戦』が課せられる。冒頭で引用した朝井リョウが「食い入るように観ていた」のはこの頃の『ASAYAN』である。

さらに、メンバーの突然の増員(1998年3月)や鈴木あみとのシングル同日発売対決(1999年7月)など、『ASAYAN』では、モー娘。に様々な試練や難題、サプライズを課し、メンバーが必死になったり、苦悩したり、時には呆然とする様子をリアリティショーとして放送していった。そうして、彼女たちは「国民的アイドル」となっていく。

オーディション番組『ASAYAN』の変遷を辿りながら見出したのは、オーディション番組のリアリティショー化という事態であった。『ASAYAN』は2002年3月で放送を終了するが、『ASAYAN』が残したリアリティショーとしてのオーディションという形式は、現在でも『ラストアイドル』や『Nizi Project』といったアイドル・オーディション番組に継承され、アイドルを生み出し続けている。

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(第1回)日本のアイドル文化は『スター誕生!』から始まった【太田省一】

プロフィール

塚田修一(つかだしゅういち)

相模女子大学学芸学部メディア情報学科准教授。専門はメディア文化論、都市論。メディアと都市と文化が交わるところに関心がある。共編著に『アイドル論の教科書』(青弓社)、『国道16号線スタディーズ』(青弓社)、『ガールズ・アーバン・スタディーズ』(法律文化社)、『大学的多摩ガイド』(昭和堂)などがある。


本書は、2020年度に放送文化基金が助成した研究「アイドルオーディション番組の総合的研究」の成果をまとめたもの。
『スター誕生!』『ASAYAN』などの歴史的な番組から海外の事例までを体系的に整理し、「オーディションを通して社会を考える」という新しい切り口で論じた初の“オーディション・スタディーズ”。
アイドル文化やメディア研究に関心のある方におすすめの一冊です。

  • 編著者:太田省一 / 塚田修一 / 辻泉
  • 発行所:青弓社
  • 発行日:2025年9月2日

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