助成
志と敬意、共感は受け継がれる――「山田太一・上映展示会」の意義・後編【放送評論家 鈴木嘉一】
2025年度助成 イベント事業(前期)
横浜市の放送ライブラリーでは、特別企画「山田太一・上映展示会~名もなき魂たちを見つめて~」を12月12日から開催しています。視聴者の心をとらえた数々の名作ドラマを生んだ山田さんの作品は、放送界を超え、今も多くの表現者に影響を与え続けています。本稿では、前編に続き「山田太一のバトンを繋ぐ会」が共催するこの企画展に協力した放送評論家・鈴木嘉一さんが、展示を通して見えてきた山田太一さんの軌跡を手がかりに、放送文化が次代へと受け継がれていく意味をひもときます。
山田宅に残された膨大な資料や書籍
「山田太一のバトンを繋ぐ会」は山田さんの次女の長谷川佐江子さん(元TBS)が代表を務め、テレビマンユニオンの合津直枝プロデューサーとともに設立した。合津さんは山田さんの一周忌を前にした昨秋、NHKの『ETV特集』で『山田太一からの手紙』を作った。山田さんの長女と長男も名を連ねている。フジテレビ時代、『風のガーデン』『最後から二番目の恋』などを演出した宮本理江子さんと、映画『るろうに剣心』などを手がけた撮影監督の石坂拓郎さんだ。ちなみに、山田さんが結婚したのは早稲田大学教育学部の同級生で、NET(現テレビ朝日)のアナウンサーになった石坂和子さん(故人)だから、家族5人はみんな放送界や映画界とかかわりがあった。
山田さんは2023年11月、89歳で亡くなった。川崎市の自宅には脚本や直筆の原稿、手紙、作品を録画したVHSやDVDなど多くの資料が遺された。佐江子さんは、1970年代後半から80年代にかけて、山田さんらとともに「脚本家の時代」をリードした向田邦子さんのコーナーがある鹿児島市のかごしま近代文学館や、脚本家市川森一さんの資料や顕彰碑がある長崎県諫早市立諫早図書館を訪れ、資料の活用法を探った。2025年1月から合津さんと遺品の整理に乗り出し、「父の作品と資料を次世代のために役立てたい」と「繋ぐ会」を立ち上げた。
私は8月下旬、放送ライブラリーのスタッフとともに山田宅を訪れた。書斎は整然としており、机の前には歌人の斎藤史(ふみ)の和歌が飾られていた。「冬茜 褪せて澄みゆく水浅黄(あさぎ) 老いの寒さは唇に乗するな」。老いをついつい口にしてしまう自分を戒める意味が込められ、親交があった脚本家田向正健さんの姉の書家に書いてもらったという。

地下室にあるスライド式の書庫には、膨大な本が収蔵されている。ドラマの脚本はテレビ局別に分けられていた。蔵書は図書館のように「ノン・フィクション」「歴史」などと分類されており、几帳面な性格がうかがえた。ジャンルは美術まで幅広く、福田恆存(つねあり)や吉本隆明、江藤淳らの文芸評論も一角を占める。早大の同級生だった詩人・劇作家の寺山修司の本はさすがに多く、向田邦子、倉本聰、市川森一さんらの同業者の本とともに並んでいた。放送ライブラリーの展示会では、書斎や書庫が写真で紹介されている。


「前の世代と次の世代のつなぎ目」という意識
佐江子さんと合津さんは12月10日、放送ライブラリーの内覧会で記者会見し、「繋ぐ会」の趣旨を説明した。山田さんは戯曲『流星に捧げる』の地人会公演のパンフレットで演出家の木村光一さんと対談し、「自分の幸福も大事だけれど、次の世代に何かを渡していく、前の世代と次の世代の自分はつなぎ目」と語っていた。佐江子さんは「『前の世代と次の世代のつなぎ目』という父の言葉と出合い、私たちの活動を父が認めてくれたように思いました。資料も本も山のようで、どこから手をつけたらいいか途方に暮れたが、合津さんと一緒にようやくこの展示会までこぎ着けられました」と感慨深そうに語った。

合津さんが「1970年代から80年代はテレビドラマが最も輝いていた時代だったと思う。向田邦子さんや倉本聰さんたちとともにその時代を牽引した山田さんが亡くなった時、テレビではびっくりするほど追悼番組や再放送が少なかった」と嘆いたのは無理もない。NHKはさすがに追悼番組や代表作の再放送に取り組んだが、民放キー局で追悼番組を組んだところはなかった。信じられない対応は、憤りを超えて悲しかった。
専門誌の「月刊ドラマ」と放送批評懇談会発行の「GALAC」が追悼特集を組むのは当然として、文芸誌の「ユリイカ」や映画専門誌の「キネマ旬報」が追悼を特集したほか、「世界」などの総合雑誌も追悼を掲載した。活字メディアがこれほど敬意を表したのに、山田さんにさんざんお世話になった民放各局はどうして素通りしたのか。優れた業績を残した人をリスペクトしない業界は、世間からもリスペクトされないだろう。これは声を大にして言いたい。

世代を超える山田さんの影響力
とはいえ、山田さんの名作や秀作は同時代をともに歩んだ視聴者の心に残るだけではなく、さまざまな分野の後進たちにも影響を与えている。展示会では、各界で活躍する13人と一グループが「山田太一から受け取ったもの」というメッセージを寄せた。
脚本家の岡田惠和さんは「あまり取り上げられない、物語やドラマの主人公に選ばれない人を描くこと。その人の、他人から見たら地味な日常をいかに面白くリアルに書くことができるか。人間を薄っぺらく一面的に決めつけて描くのではなく、愛おしいところ、小さいところ、いじわるなところ、ダメなところを魅力的に描くこと。とにかく徹底的に、社会を人間を、見つめること。当たり前のことをすべて、はたしてそうだろうか?と疑ってみる。わかったようなことを言わないこと」と書き、「(山田さんは)一生の憧れであり目標です」と締めくくった。山田作品の特徴を見事に指摘するとともに、自らの作風も重ねている。
スタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーや脚本家の宮藤官九郎さん、映画監督の西川美和さんのほか、ゲームクリエーターの小島秀夫さん、シンガーソングライターの小沢健二さんらも寄稿したのは、山田さんの影響力が世代を超えて、広範だったことを物語る。10日の内覧会の後、「山田太一を語り合う夕べ」が開かれ、山田さんとドラマを作ったプロデューサーやディレクター、展示会にメッセージを寄せた演出家の大根仁さんや漫画家の新井英樹さんらも参加し、スピーチした。

直筆原稿は早大の演劇博物館などに寄贈
「繋ぐ会」では今後、脚本や戯曲の直筆原稿、読書ノートなどを早大の演劇博物館に寄贈するとともに、演劇博物館の主催で山田ドラマの連続上映会が開かれる。小説の直筆原稿は神奈川近代文学館に寄贈される。
山田さんの母校である神奈川県立小田原高校の中等教育史料館では11月、山田太一コーナーが新設された。「繋ぐ会」は、山田さんが10歳から18歳まで過ごした湯河原町の町立図書館で、山田さんの書斎を再現する準備を進めている。
結婚して石坂姓となった山田さんは、川崎市幸区幸町の円真寺にある石坂家の墓に眠っている。「山田太一の名前がないのは寂しい」という声を受け、遺族は墓の隣りに自筆で「山田太一」と刻まれた碑を建立した。湯河原町に近い真鶴町で採掘された本小松石が使われた。
こうした動きとは別に、山田さんの代表作の『岸辺のアルバム』が2026年4月、東京・池袋の東京芸術劇場で上演(木野花演出)され、5月には大阪公演もある。小林聡美が主演し、杉本哲太、田辺誠一らが共演する。放送から49年の時を経て、昭和の名作ドラマが令和の世にどうよみがえるか、興味は尽きない。
その一方、評論家の川本三郎さんがカタログハウス発行の「通販生活」で2023年5月から連載してきた山田太一論『家族と暮せば』がこの夏に終了した。川本さんは最終回で「改めて山田太一は凄い人だったなと思う。(中略)多作な人である。しかも驚くのは、これだけたくさんの作品を書きながら駄作がない。すぐれた書き手であると同時に、いい意味の職人である。プロフェッショナルである」と書いた。単行本の刊行を待ちたい。
また、展示会に寄稿した文学紹介者の頭木(かしらぎ)弘樹さんは山田さんの晩年の6年間、山田宅に通い続け、合計で222回ものインタビューを重ねた。『山田太一といっしょに山田太一ドラマをすべて見る』と題して、スタジオジブリ発行の月刊誌「熱風」で連載している。2025年12月号で第20回を迎えたが、山田さんがまだ新進脚本家の段階で、「いつ終わるかはわからない」という。山田太一研究のうえで貴重なテキストとなるに違いない。
脚本や放送台本は貴重な文化資産
放送ライブラリーが名脚本家を追悼する上映展示会を開催するのは、2011年に死去した市川森一さん以来2回目となる。山田さんと7歳下だった市川さんとのかかわりは深い。
山田さんは市川さんの告別式で葬儀委員長を務め、「メランコリックで、ノスタルジックで、センチメンタルな作家はもういない。かけがえのない人でした。実のところ、まだ市川さんがいなくなったことになれていなくて、うまく追悼できません」と弔辞を述べた。
市川さんは日本放送作家協会理事長として「テレビドラマの脚本や放送台本は貴重な文化資産」と保存・収集・活用を呼びかけ、脚本アーカイブズ設立運動の先頭に立った。市川さんが亡くなった翌年の2012年、一般社団法人「日本脚本アーカイブズ推進コンソーシアム」が設立され、山田さんが代表理事に就任した。団体のトップや役職に就くのは好まないように見えた山田さんがこの役目を引き受けたのは、脚本アーカイブズの実現に尽力してきた市川さんに対する敬意と共感からと思われた。

山田さんの後任の代表理事には、ベテラン脚本家の池端俊策さんが就任した。池端さんもこうした役職に就くのを好まないタイプだろう。何かで顔を合わせた時、「よく引き受けましたね」と率直に話したら、「山田さんから電話がかかってきて直接頼まれたら、もう受けないわけにはいかないよ」という答えが返ってきた。創造に携わる人たちの志と敬意も、「精神のリレー」のようにつながれるものだと思った。
私は「中央公論」2024年2月号で山田さんの追悼を書き、最後をこう結んだ。「山田さんは死しても、多くの作品を残し、高くそびえる山のようだ。山田作品の深さや鋭さ、ひいてはテレビドラマの高みを味わうために、今後も登り続けたい」と。今は「登り口はいくらでもある」と付け加えたい。
👉この記事の前編を読む
🔗テレビドラマを文化として次代に伝えるために――「山田太一・上映展示会」の意義・前編
山田太一・上映展示会 開催概要
📺特別企画 山田太一・上映展示会 ~名もなき魂たちを見つめて~
開催期間:2025年12月12日~2026年2月11日
場所:放送ライブラリー(横浜市中区日本大通11番地)
※入場無料
👉特別企画 山田太一・上映展示会 ~名もなき魂たちを見つめて~ | 放送ライブラリー公式ページ
プロフィール

鈴木 嘉一(すずき よしかず)
放送評論家
元読売新聞編集委員。「放送人の会」の理事・大山勝美賞選考委員長。元放送倫理・番組向上機構(BPO)放送倫理検証委員会委員長代行。著書に『テレビは男子一生の仕事 ドキュメンタリスト牛山純一』(平凡社)、『大河ドラマの50年』(中央公論新社)、『脚本家 市川森一の世界』(長崎文献社、共著)、『桜守三代 佐野藤右衛門口伝』『わが街再生』(いずれも平凡社新書)など。
2025年度助成イベント事業(前期)
「山田太一が遺した膨大な資料をデジタルアーカイブ化して後世の放送文化の向上に寄与する。」
山田太一のバトンを繋ぐ会
代表 長谷川佐江子(アトラス)