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取材とは、相手と“斬り結ぶ”こと |
朝日放送 報道局 プロデューサー 石高
健次 |
調査報道もののドキュメンタリーを長年やってきた。“世間が知らない事実”を発掘し報じることは、闇の中を薄灯りひとつで歩くようなものだ。いつつまずくか分からない。
埋もれた事実は自動販売機にコインを入れたら缶コーヒーが出てくるように形となって現れてはこない。人と会い、顔を見て話すしかない。そうして得た情報の断片を組み立てていくと、一つの方向性が見えてくる。こんなことが起きているのだ、と。
調査報道の現場では、相手は、話すことで自分自身が救われたい、あるいは世の中を少しでも良くしたいと考え、取材に応じてくれる。しかし、同時にわが身に危険や不利益が跳ね返ってくる不安があるからこちらを値踏みしてくる。
「この人は正確にしっかり報道してくれるのか」「自分の身を守ってくれるのか」
こちらが相手の被っている殻をむこうとするのと同様、相手も、してくるのだ。
相手のいうことが事実かどうか見極めるのは、難しい。意図しないで事実と異なることを語る場合がある。どのような事実も突き詰めればその人の記憶だからだ。記憶は、その後の生きてきた状況によって微妙に変化する。だから個人史まで根掘り葉掘り聞くことになる。
取材の初期にはちょっとした言葉の行き違いから拒絶反応が起きたりもする。
しかし、自分をゼッタイ安全地帯に置いて、相手の懐深くにあるものを引き出すことなど出来ない。こちらも“裸”にならなければ進まない。
さらに言えば、懐深くに入ったばかりに相手の嘘や汚さが見えてくることがある。それに目をつむれば真実を見落とす。口にすれば「あんたとは、これっきり」となるかもしれない。
そのような、相手との“斬り結び”を避けては事実を発掘できないように思う。 |
<略 歴>
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石高
健次 (朝日放送 報道局 プロデューサー) |
1997年横田めぐみさんが拉致され、平壌で生存している事実を掘り起こして報道、拉致事件が社会の関心を引くきっかけを作った。05年にはアスベストによる健康被害でクボタによる被害実態を世に出し、社会問題化するきっかけとなった。 |
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