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ミニコラム「アフガニスタンのひととき」(全3話)

●第1話 ウィンナーソーセージ
 カブールでの楽しみの一つにホテルの朝食があげられる。日本の「おかゆ」に似た食べ物に、蜂蜜をたっぷりかけ食べるのである。それと、フライパンで炒めた長いウィンナーソーセージがとても美味しいことである。歯ごたえ十分なウィンナーソーセージを噛むとプチと音がしてウィンナーの肉汁が口の中に充満する。醍醐味である。
 私の2回目の研修期間 (2004年2月) でのことである。食堂で朝食をとっていると、バイキング形式で料理が並んでいるカウンターで言い争っている声が聞こえる。ウィンナーソーセージの皿の前である。聞くともなく聞いていると、お客の婦人はソーセージが長いので食べにくい、食べやすい長さに切るべきだ。と主張しているらしい。料理人は切らないほうが、味が良いと言っているらしい。
 その後、ウィンナーソーセージは細かく切られるようになり、噛むとプチッと音がして味の良い肉汁が飛び出してくるウィンナーは食べられなくなった。私の楽しみが一つなくなった。
●第2話 写真屋大繁盛?!
 日本では子どもまで、デジタルカメラを持って写真を撮っている時世である。アフガニスタンでは個人でカメラを持っている人は金持ちかカメラを扱う職業人である。 一般の人は自分の写真を撮ることはほとんどない。それ故、自分の写真を撮ってもらおうとする欲求は強い。私の宿泊しているホテルの守衛さんで素晴らしい「ひげ」を蓄えた人がいる。
 私は写真に撮りたくなり、頼んで撮らせてもらった。それが切っ掛けで、ホテルの従業員、ラジオ・テレビ局員等、3週間で多数の人の写真を撮ったのである。毎日、ホテルに帰ってくると写真屋に早代わり、焼付け作業をした。そんなある日、一人のホテルマンが私を訪ねてきて、3センチ四方の小さな写真を持ってきて、大きくして欲しいという。おじいさんの写真でこれ1枚しかないから、大きい写真にして欲しいという。とにかく試行錯誤、デジカメで光を調節しながら何枚も撮り、コンピュータで色合いを調節、大きな写真に変えることができた。頼み主が非常に喜んだことは言うまでもない。


 ある日、部屋の掃除をしてくれる女性が6歳ぐらいの息子を伴って来た。丁度、コンピュータでデジタル写真のプリントをしている最中であった。私はその少年を見ると忘れかけていた古い記憶が甦った。私が12歳ぐらいの頃、無線技師をしていた姉の夫が鉱石ラジオのセットをくれた。くもの巣に似たスパイダーコイルを作り、鉱石 をセットし、イヤーホーンからラジオの放送が聞こえた時の驚きは今でも忘れられな い。その驚きが今日まで放送の仕事を続けてきた原点である。
 私はデジタルカメラを構え、少年を撮影した。そして、すぐプリントをした。少年は段々現れてくる自分の顔を見て、驚きで目を丸くしている。写真が出来上がったときの親子の喜びは語るまでもない。
●第3話 先祖は同じ
 私が始めてアフガニスタンに入り、ホテルに宿泊、翌朝、食堂に行って食事をしながら、周りを見渡すと、 従業員の中に日本人がいるのでびっくりした。物腰は静かだが、動きは機敏、客の要求に対してすばやく対応、やはり日本人は素晴らしいと心で拍手。日がたつにつれ、言葉を交わすようになり、私は更に、びっくりした。彼はバーミヤン出身で、日本人は昔、我々の所から行った人達だという。顔、しぐさ、相手を思いやる 心、日本人そのまま。彼は「バーミヤンの地域だけ同じ民族で、そのほかの土地にはいません。」という。大昔、この地から山を越え、海を越え、日本へ来たのであろうか。私は疑問を感じた。 彼とは時がたつにつれ、親しくなった。私が3年間、9回のアフガン生活を無事、快適 に過ごせたのも、彼のサポートがあったからである。

 2004年5月1日の朝、A新聞を見てびっくりした。「西アジア産鉱石 高松塚に」 奈良県明日香村の高松塚古墳の壁画にラピスラズリと言う鉱石を顔料として使っていたらしいと言う記事が出ていた。私は今回の研修の折、アフガニスタンしか産しない貴重な宝石だからと現地の人に推薦されラピスラズリを購入してきたのである。奈良正倉院の御物の中にもラピスラズリがあるとのことである。
 アフガニスタンにしかないものが日本に昔、運ばれていると言うことはアフガニスタンから日本に来ることが可能であったと考えられる。バーミヤンの人たちがはるばる山を越え、海を渡り、日本にたどり着いたのであろうか。私はアフガニスタンに日本の原点を見る想いであった。