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言語バリアフリーな社会を目指して
日本語テキストから手話テキストへの機械翻訳
岐阜大学工学部 教授 池田 尚志

1. 手話と機械翻訳
 手話は聴覚障害者のコミュニケーションを支える言語である。手話と音声言語との間のコミュニケーションには手話通訳が必要であるが通訳者の数は極めて少ない。NHKのテレビでは手話ニュースを行っており、聴覚障害者との言語コミュニケーションに大きく貢献している。しかしその時間は限られている。すべての放送が手話通訳されるのが理想とすれば現状は未だはるかに遠い。手話通訳はもちろん放送の場に限らず、原則的には聴覚障害者が居るあらゆる場面で必要である。
 将来はIT技術の力で言語バリアフリーな社会を実現することが期待される。言語バリアフリーとは具体的には、異なる言語の間での通訳あるいは翻訳がいつでもどこでも利用できるということである。しかし人間の通訳者あるいは翻訳者だけでこの理想を実現するのは不可能であり、機械(計算機)の力を借りて、ということになる。
 機械翻訳は、自然言語処理技術(言語を工学的に処理する技術)の典型的な応用の一つとして50年以上の研究開発の歴史があるが、完成という域にはまだ遠くどんな文章でも精度よく翻訳してくれるレベルではない。しかしうまく使えば十分に有用だというレベルにはなってきており、言語バリアフリーを支援する技術として着実に発展してきている。
 ところが機械翻訳で取り上げられてきた言語は、これまでのところ日本語や英語、中国語といった音声言語だけである。手話は自然言語処理技術の領域でこれまでほとんど取り上げられたことがない。手話も音声言語と同じく、独自の語彙をもっていて、それを組み合わせて文を作り上げる独自の方法(文法)を備えた言語である。とすれば手話も自然言語処理/機械翻訳の対象言語の一つとして考えられていいはずである。

図1.手話
2. 手話を書き留める方法/日本語援用手話表記法の提案
 私たちの研究室では、日本語文の解析システムや日本語から中国語・ベトナム語等への機械翻訳、点字翻訳システムなどの自然言語処理技術の研究を行ってきているが、これらに加えて、日本語から手話への機械翻訳の研究への取り組みを始めた。
 ところが手話については音声言語と違って、書き留める文字を持たないという大きな問題がある。つまり我々が対象としている普通の音声言語は書き留める文字の体系をもつ書記言語であるが、手話はそうではない。手話を記録するにはそのままビデオ映像として記録するか、紙芝居のように手話のスナップのスケッチに日本語の注釈を書き添えたものとして記録するか、あるいは日本語に翻訳して日本語として記録するか、といった方法しかない。これではテキスト(すなわち書かれた記号列)を対象とする技術であるこれまでの自然言語処理は適用できない。
 これは手話言語にとっても大変大きな問題である。音声言語の場合のように手話をテキストとして書き留めて、時を越え、所を越えて伝達するということは出来ない。手話は話し言葉であって書き言葉ではないとされる。手話通訳ということはいわれても、手話翻訳ということはいわれない。 
 私たちはあえて手話をテキストとして書き留める方法について検討し、日本語援用手話表記法という表記法を提案した[1]。図2はそれによる手話文の表記例である。

図2. 日本語援用手話表記の例
 表記法の詳細をここに述べるスペースはないが、“日本語援用”としている理由は、この例にあるように日本語の語彙を借用して手話の語彙を表記しているからである。手話語彙については「日本語-手話辞典」[2]の語彙を用いている。
 手話は、手指の動作だけでなく、顔の表情やからだ全体の動き(非手指動作と呼ばれる)も加わって表現される。それらを表記するために、いまのところ括弧を使ったり記号を使った表記も用いている。
3. 日本語テキストから日本語援用手話表記法による手話テキストへの機械翻訳
 私たちの研究室では、日本語からいろいろの言語への機械翻訳システムを構成するための翻訳エンジン(jawと名づけている)を開発しており、中国語やベトナム語などへの機械翻訳システムの作成を試みている。さらに現在、同じようにjawを用いて日本語テキストから日本語援用手話表記法による手話テキストへの機械翻訳システム(jaw/SL)の開発を始めた。現在、図2のような例文に対応する翻訳規則は書けるが、手話に適する表現に言い換えた上で翻訳するような意味処理・文脈処理はできない。まだまだ課題は山積している。

図3. 手話への機械翻訳
4. 日本語援用手話表記から手話文字列(Sign Writing)への変換
 先に手話には文字がないと述べたが、実は一つだけSign Writingと呼ばれる手話文字の提案がある。部品の組み合わせで作る種類の文字である。現在アメリカ手話に対して適用され普及の努力がなされているが、日本手話に対しての適用も研究されている[3]。私たちは、日本語援用手話表記によるテキスト表現をSign Writingへ変換するシステムについても検討している。

図4. Sign Writingによる表現例
5. おわりに
 手話に関する工学サイドからの研究としては、手話画像の認識や手話アニメーションの生成といった画像処理の対象としての研究がほとんどであるが、私たちの研究は自然言語処理の立場からのアプローチである。
 私たちが当面の課題としているのは、日本語テキストから手話テキストへの翻訳であるが、手話テキストから手話アニメーションを生成するステップは次の大きなテーマであり、さらに手話通訳ということになると、音声認識と手話画像の理解が加わるさらに大きな課題である。
 手話は耳の聞こえない人たちの母語であるが、将来は書き言葉としても確立し、健聴者にとっても何番目かの言語として使われるユニバーサルな言語として活躍するのではないかというのは、機械翻訳ということとは別に筆者のひそかな夢である。手話は便利な言語である。
2006年11月掲載

平成16年度 助成/技術開発
「日本語━手話機械翻訳システム(テキストレベル)に関する研究」

参考文献
[1] 日本語を援用した日本手話表記法の試み, 松本忠博, 原田大樹, 原大介, 池田尚志, 自然言語処理, Vol.13, No.3, pp177-200, 2006
[2] 日本語-手話辞典, 日本手話研究所(編), 全日本ろうあ連盟, 1997
[3] A Study of Sign Language Writing System, 加藤三保子, 日本手話学術研究会論文集Vol.8, pp13-38, 1987