テレビ50年は、デジタル元年でもある─ 2003年は、放送について、また、具体的なメディアとしてのテレビについて考えさせられる年であった。その中心課題は、放送の内容、番組、ソフトであり、その社会的影響であり、つまりは文化の問題だ。中山伊知郎さんが30年前に提言された放送文化は、今日、すっかり社会的認知を得たが、しかし、いま、見えているような固定的、限定的なものではなく、柔軟で、開放的なものとしてとらえなければいけないと私は考えるようになっている。
そのきっかけは、D.マクウェール(アムステルダム大名誉教授)さんの「火の発見後:テレビジョン ―放送の半世紀、文明に対するそのインパクト―」(「放送学研究」47:1997NHK)に触発されたところが大きい。マクウェールさんは90年代半ば、ハーバード・ケネディースクールでフェローとして滞在され、毎日のようにお会いして、議論の相手をしていただいたが、テレビをこのように巨視的にとらえる発想には、正直、驚いた。火の発見とテレビを直接結びつけることには、彼自身、いくぶん空想的でドラマチックすぎる、と述べているが、壮大な人類史の中で、ことば、文字、印刷……などの延長上にとらえるならば、自然な発想と思える。放送とか、テレビを、いま目の前に見えているような番組、編成、放送局に固定して考えることをわらっているかのように思えるからだ。
このように考えてくると、放送文化というとらえ方から、もう一歩を進めて、放送の文明、テレビという文明ととらえることの意味がはっきりしてくるように思われる。文化と文明の定義の仕方はいろいろあり、ここでは深入りしないが、放送、あるいはテレビを人類史の中で、一国の枠組みの中ではなく、グローバルにとらえるなら、“文明”ということばが、より、ぴったりするようにも思える。S.ハンチントンの「文明の衝突」は冷戦構造崩壊後の国際関係を展望したもので、その後の湾岸戦争、9・11テロ、アフガン、そしてイラクの戦火といった現実を説明するのに都合がよい。イスラム世界と非イスラム世界の“文明の衝突”も、厳しい現実の一局面に違いない。
しかし、今の世界は、言論、報道、メディア、テレビ、情報によって対立を解消しようという“文明”と、あくまでも、武力、軍事力に依拠する“非文明”の対立のようにも見える。
91年の湾岸戦争では、CNNをテレビの旗手に押しあげた。しかし、01年のアフガン攻撃では、アルジャジーラを活躍させ、03年のイラク戦争では、米政府に近いFOX、英政府を批判するBBC、アラブの新しいテレビ・アルアラビアなども注目された。その多くが、これまでにない新しいタイプの放送局、ボーダレスのテレビ局だ。これはニュースに限らず、広く様々のジャンルで新しいテレビ局を生む前兆といえる。自由な発想の下にテレビを解放すれば、21世紀の新しい文明を生むことになるだろう。
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