放送文化は“集積の文化”である。報道・教育・教養・娯楽・スポーツなど、あらゆるジャンルの文化が放送には集められている。しかし放送文化は、集積の文化であることを通して、“総合の文化”としての特性を発揮している。ここに、放送がもって文化創造の可能性がある。テレビを中心に考えよう。
第一に、テレビは対象を映し出す力を持っている。それは中継、録画中継をはじめ、再現ドラマ、テレビドキュメンタリーなどから、さらにはスタジオ収録番組、ドラマ、バラエティー番組にまで及ぶ、テレビの“再現力”として考えたい。現実の出来事も、フィクションも、テレビで映し出されたとき、それはわれわれにとってリアルなものとなるというテレビの作用力である。この作用力を、テレビの環境造成力と呼ぼう。テレビはわれわれの環境を作っているのである。
第二に、歴史の素材としてのテレビの力に注目したい。NHKのニュースや番組を保存、公開する「NHKアーカイブス」、そしてNHKと民放のニュース、番組、コマーシャルを保存、公開する放送番組センターの「放送ライブラリー」の二つの事業は、テレビがもっている可能性を蓄積し、発掘する場所である。テレビは決定的瞬間をとらえることができる。テレビの重要な文化的価値の一つは、この“事実定着力”であり、“記録力”ではないか。
もちろん、カメラの目は客観的ではない。監視カメラのように、その瞬間に人間の選択が加わっていなくとも、テレビカメラの目は対象を切りとっている。そこには選択がある。しかしその瞬間に人間の目が及ばないものを、カメラは拾っている。拾うだけではなく、それを記録している。
テレビは次の作用を果たすことになる。テレビは人間が見落としているものまで記録する。それは重大事件の決定的瞬間だけでなく、ドラマやバラエティー番組にも言えることである。例えばバラエティー番組は、そのときの視聴者に楽しんでもらうことを主眼にしている。しかし番組は時代の雰囲気さらには思想を、タレントのしぐさ、服装、他のタレントやオーディエンスの反応などを通して、後世に伝えている。テレビ番組には、硬軟いずれの番組も、歴史的な素材が埋め込まれているのである。
テレビはさまざまな番組を放送しながら、現代文化を総合しようとしている。過去に放送されたいろいろな番組を点検すると、そこから時代を貫く文化のエッセンスを汲みとることができる。時代の匂いであり、色である。テレビは現在を映していると考えがちであるが、しかしテレビと歴史の係わり合いを軽視してはならない。
テレビは歴史の素材を休みなく映し出しながら、その過程で、歴史を作ってさえいる。放送文化は集積の文化から総合の文化へと、大きな一歩を踏み出しているのである。
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