多抱多想-たほうたそう-
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放送(テレビ)文化考

青木 彰 (筑波大学名誉教授)


 このところ放送(テレビ)界の頭の痛い問題が続いた。
 一つは、「所沢ダイオキシン報道訴訟」の上告審で、テレビ朝日の一、二審勝利判決が覆ったこと。もう一つは、日本テレビのプロデューサーが視聴率調査会社の対象世帯を興信所を使って探り出し、金品などを渡して自分の作品を見るよう依頼していたことである。
 日テレ社員の“視聴率犯罪”は、論外として、とりあえずテレ朝のダイオキシン報道訴訟問題について若干考えたい。
 この訴訟では、「放送は公益を図る目的で、主要部分は真実」という第二審までの農家側不利の判決に私も賛成であった。したがって今回最高裁が、テレビの名誉毀損成立の基礎条件を従来より拡げ、発言やテロップの内容だけなく、映像や音声、効果音などの複合作用として一般視聴者が受ける“印象”としたことにショックを受けた。
 “9.11テロ”による世界貿易センタービル倒壊の映像が子ども心を傷つけかねないと、日米両国テレビで放映を自粛したほど、テレビは大きな影響力を持つ。
 それらを考えれば、最高裁がテレビ報道のミスの“印象力”を重視し、テレ朝報道のダイオキシン規制などの立法化への功績を「補足意見」に追いやったのも理解できなくはない。
 私としてもテレビに対し、今後はより慎重な報道を求めるしかないのだろうが、取材、報道の萎縮を招きかねない自粛要請の大合唱に加わるだけで、テレビ報道への期待を終わらせていいかにはやはり疑問が残るのである。
 一つは、マスメディアに対する公権力はもとより、視聴者、読者の不信感の高まりは、メディアの自己規制努力にも関わらず一向に鎮まる気配がない。
 二つは、国民大衆と公権力の間に広がっているメディア不信やメディア規制の動きに加えて最近では、メディアへの名誉毀損訴訟における損害賠償の高額化が目立っている。司法界のマスメディア界に対する風当たりの強さはメディアに致命傷を与えかねない。
 三つは、IT時代の進行にともない、IT技術の発展はめざましいが、我が国はじめ先進諸国としては、新しい時代の「人間研究」にこそ力を集めるべきではないか。
 まだ他にもあろうが、これからの放送(テレビ)文化の発展を考える場合、なによりもメディア自身の英知と勇気と責任感が求められるような気がしている。
 視聴率“買収”事件については私も心から納得したテレビ人、倉本聰さんの怒りの声の一部を挙げておきたい(03.10.28朝日夕刊)。
 「僕ら作家は常に人を感動させたくて、人の営みを、世界を描いている。量と質を持った『立体』にほかならないテレビの作品を、幾人が見たかという量という『平面』でしか計らない。『どのくらい感動したのか』、ましてや『どのくらい人生に反映したのか』なんて測定はそこにはない。だから、つくる者たちも、いつの間にか『平面』で考え、感じることに慣らされた。今回の事件はその証しだ。……今こそ、深さへの光を。」


<執筆者のご紹介>
青木 彰(あおき あきら) 筑波大学名誉教授

 1926(大正15)年東京生まれ。東京大学文学部卒業。49年産経新聞入社後、社会部を中心に活動し、論説委員、編集局長、取締役などを経て77年フジ新聞社長。その後、78年筑波大学教授、90年東京情報大学教授としてマスコミ関係の教育、研究活動に従事。大学を離れた後も、新聞、雑誌を中心に「新聞批評」などを執筆。
 主著に、「新聞の取材」(上・下)「新聞との約束」など。