番組制作者の声
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ワカラナイが分からない

野上 純一 (NHK番組開発部)


 「これじゃ分からないよ」。番組の編集室で良く聞かれる言葉です。ほとんどの場合は、プロデューサーがディレクターに向って、編集のやり直しを命じる時に使う伝家の宝刀、ちょっと古いけど大魔人佐々木のフォークボールのようなものです。視聴者に伝わらないと言われれば、ディレクターとしても考え直さざるを得ないからです。
 ここで、ディレクターとプロデューサーの関係を説明しておきましょう。NHKの場合、ディレクターとして番組制作を続けていくと40歳前後で進路が二つに分かれます。そのままディレクターとして取材・ロケを続けるか、プロデューサーになって番組の品質管理を仕事とするかです(ディレクターのほとんどが望むと望まないに関わらずプロデューサーになります)。さらにNHKでは、プロデューサーは管理職でもあるため予算や労務の管理もします。ですから、プロデューサーとディレクターの間では、番組の打合せだけでなく、「今月は1日は代休とってよ」などというやりとりもあります。
 ディレクターから見れば、プロデューサーは上司である上にディレクターとしても先輩であるわけです。そういう人から「分からない」という決め球を投げられたら、これはもう空振りするしかありませんよね。もちろん分からない番組を放送するわけにはいきませんから、分かりやすいことは番組が満たすべき大切な条件なのですが、ともすれば「分かりやすい」という見方を強調するあまり番組から削り落としてしまう要素もあるような気がします。というのも、分かる分からないというのは、論理的につながりが明確でないとか、説明が不充分で疑問が残ったままになっているとか、とにもかくにも「言葉」で考え論じるものだからです。ひるがえって考えるとテレビは映像と音声のメディアです。もちろんコメントやインタビュー、字幕など「言葉」の情報もたくさん盛りこまれていますが、同じ内容でも語り口や番組のトーンによって伝わり方が違うはずです。
 最近、NHKスペシャル「永平寺 104歳の禅師」という番組を担当しました。90年以上も修行の日々を送ってきた老僧の言葉を編集室で聞くうちにハッとしました。語られている内容は実に平易で、もしも文字に書きとって読んだならば「何をこんな当たり前のことを」と思われるかもしれません。ところが、禅師が語ると圧倒的な説得力で迫ってくるのです。声のかすれた感じ、言葉と言葉の間のとりかたなど、語る人の息遣いが聞く者の心に染み入ってきました。
 日曜日の夜に放送している「NHKアーカイブ」で昔の番組を見て同じようなことを感じることがあります。言葉で説明する前に、映像が語るものに耳を傾け目を凝らす。映像言語という理念が生きていた時代の仕事だなぁと思います。
 番組制作という仕事を始めて20年、デジタル放送などの技術革新が進み常に新しい演出が求められる職場で、映像と音声というテレビの原点を改めて見つめなおしたこのごろです。


<執筆者のご紹介>

野上 純一(のがみ じゅんいち) NHK番組開発部

 1961年(昭和36年)生まれ。1984年(昭和59年)NHK入局。鳥取放送局、サイエンス番組部、ファミリー番組部(青少年・こども番組)を経て、現在は番組開発部。