研究者の声
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これからの放送文化を考える

石川 旺 (上智大学教授)

 さて…、放送文化のこれからと言うからには放送は現在「文化」でなければならない。文化だと言い切れるかどうか…。
 映画が文化の重要な1ジャンルであることに異論をさしはさむ人は居ないだろう。放送はその映画の中から、話題性があり、人気を呼んだものを選び出し、数分おきにCMをねじ込み、それで時間枠からはみ出す分は、原作の映画を削ってしまう。それで、映画は文化、放送も文化というのはためらわれる。
 メディアとして、放送は豊かな可能性を持っていると思う。しかし、現在の地上波商業放送においては、CMが優先されており、番組はすべて細切れにされる。そして、内容を大げさに盛り上げ、視聴者の注意を引きつけておいてCMを挿入する。文化という概念を極めて広義に解釈すれば、これも現代を映す鏡の一端と言えなくもない。しかし放送の黎明期に、メディアとしてどれほどの文化的な可能性を秘めているかという文脈で論じられたのはより狭義の「文化」であった。そしてその狭義の文化、つまり、人々がそれぞれの環境内において育み、洗練してきた生活様式や技術、芸能などを意味する言葉としての文化を担うという観点からすると、地上波商業放送は現在崖っぷちにあるのではないか。商業放送の東京キイ局は年間に合計44,000時間近くの番組を送出する。その中で上に述べたような観点からして、「これぞ放送文化」と言える内容、水準を保った番組は一握りであり、圧倒的な時間は文化とは呼びかねる内容のものに占拠されている。
 では、CMの無いNHKはどうか。確かにNHKならではという高い水準の番組は作られている。だがそれでも、放送メディアというものの特性を深く追求し、「放送文化」として多くの人々に認められるような領域を将来に向かって形成しつつあるかと問われれば、確答しかねる。ドラマ作りにおいて、商業放送で人気が出たタレントに頼って視聴率を上げようとしたり、音楽番組において出演者の音楽性よりは話題性に頼ったりすることがこのところ目立っている。つまりは商業放送の動向に引きずられているのである。
 ところがここにまったく別の見方がある。番組の作り方が粗雑化、低コスト化し、文化とは呼びかねる状況の一方で、商業放送におけるCMの作り方はますます洗練され、コストをかけた高水準のものが多くなってきている。CMはそれだけを取り上げてみれば文化のひとつのジャンルとして確立している。
 また、商業放送、NHKを含め、通常の番組よりも合間にはさまれたミニ番組に水準の高いものが幾つも含まれている。さらに、東京のキイ局よりも地方局発の番組に制作者の意欲が感じられるものが多い。
 これらを考え合わせて見ると、放送文化を担うのはメディアの中の一部の番組制作者、という考え方がもう古くなっているのだろう。将来の放送文化は、より多様な、従来は周辺に位置づけられていた人々が担うのかもしれないと思う。技術環境の変化により、放送メディアはプロフェッショナルの聖域ではなくなって来つつある。プロフェッショナルとアマチュアを含め、より多様な人々が放送を担い、制作に参加するようになれば、従来の考え方、定義による放送文化とはまた違うものが生まれてくる可能性がある。まだ期待していたい。


<執筆者のご紹介>
石川 旺(いしかわ さかえ) 上智大学教授

 ミシガン州立大学大学院修了。NHK放送文化研究所主任研究員を経て現職。 新聞学博士。「パロティングが招く危機―メディアに培養される世論」(著書)等。