研究者の声
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「放送文化」は今は語れない

藤岡 伸一郎 (関西大学教授)

 前世紀の終末のころ、私たちはもの事を千年(ミレニアム)単位で見詰めなおすこともあるのだと、改めて気付かされた。21世紀への期待も、希望もそこにはあった。
 あと30億年で地球は滅びる。人類が生存可能な地球は、あと5億年ぐらいだ。とすると千年なんて50分の1に過ぎない。
 日本で「放送」が始まって80年、テレビがスタートして50年だ。してみれば、千年の13分の1、20分の1にすぎない。5億年の未来があるとすれば、それはまだたったの625万分の1。テレビはなんと千万分の一だ。ナノ単位の話しは止めて、ミレニアムに戻ろう。
 千年。しかしこれも、なかなか想像しにくい。いま生きている私たち60数億の民は確実にこの地球上にはいないことはもとより、百年先だって数パーセントいるかいないかだから、千年などどうでもよくなってくる。
 しかし、だ。「文化」なんてなものは、百年、千年単位で語るべきだと思っているから、放送文化、テレビ文化などは実のところ、早くて2、30年後にせいぜいうっすらと語れるのだろう。
 文化。すなわち「人間の精神的な価値」の蓄積、成果、これをいま放送80年、テレビ50年の枠のなかで語ることにはちょっと抵抗がある。「可もなく不可もなく、こんなもんでしょう」というよりない。
 突き放した言いかただが、いま語り得るとしたら、私たちのやって来た千年、百年の歴史の「精神的な価値」の蓄積、その成果についてであって、あえて言えば、それが放送、テレビにどう映し出されてきたか、どれほど支えになっているのかいないのか、そこだろうと思う。
 身近かに問はれるべきは、私たち市井人の日常の「精神的な価値」の蓄積、深さや幅、広がりそのものであって、放送、テレビ自身ではない(そこをどう切り取っているかは放送、テレビの問題だが、繰り返すが、語るには絶対時間がまず足りない)。
 日本の、(世界の)私たちの文化はいま、那辺にありや。どこから来て、どこへ向かおうとしているのか、この本質的な議論の継続を抜きにして、これからの放送文化は語れない。この先数十年、放送がまずやっていくことはこの議論の多様な提示、さまざまな事象・現象への素朴な問いかけ、過去と現在の事実の愚直な見直し、などだろう。
 その、これからの継続と蓄積が数十年、いや数百 年、千年後にやっと語られるに違いない。放送のもたらした「人間の精神的な価値」とはいったい何だったか、と。


<執筆者のご紹介>
藤岡 伸一郎(ふじおか しんいちろう) 関西大学教授

 関西大学文学部卒。(社)東京社・総合ジャーナリズム研究所研究員を経て、所長。季刊「総合ジャーナリズム研究」編集長。『取材拒否』(著書)等。