デジタルコンテンツの法的保護と著作権
<問題提起とディスカッションの記録>

【曽我氏の問題提起】

 私の研究の中心は「デジタルコンテンツの法的保護」についてです。この“デジタルコ ンテンツ”という言葉は、欧州指令を基にした英語では“データベース”と表現されます。 インターネットに情報をインプットするとき、その情報はデジタル化されます。デジタル 化された情報を、一般的に日本では“デジタルコンテンツ”といっています。実際に“デ ジタルコンテンツ”という英語もありますが、法制度上は日本語の“デジタルコンテンツ” は欧州指令の範囲の英語では“データベース”です。
 EUでは、「データベースの法的保護に関するEU 指令(96/9/EC )」で、デジタルコンテ ンツ保護の目的を達成しようとしています。このEU 指令に盛り込まれた新しい考え方の 基になったのは、今私がおります北欧、スウェーデン、フィンランド、デンマーク、ノル ウェー共同の北欧著作権法49 条です。ここで、このEU 指令と北欧著作権法49 条という 二つの法律と日本の法律を比較して、お話させていただこうと思います。
  現在日本で、デジタルコンテンツを守る法律というのは特にありません。けれども“デ ータベース”といういい方をすると、それを守るのは著作権法です。ただし、原則的には、 データベースが著作権法で守られるのは、そのデータベース全体をコピーする場合に限ら れており、実際には、この著作権法とともに、不正競争防止法という考え方で大きく守ら れてきました。
  一方、EU 指令は、現行の著作権法と、彼らが新しく設定したスイジェネリス(sui generis ) 「それ独特の」というラテン語ですが の二つを合わせたものです。著作 権法で“データベース”を守るというのは、欧州もアメリカも日本も万国共通 です。しか し、スイジェネリスの「それ独特の」という考え方は日本にはありません。また、アメリ カの学会では、これによって、インターネットにある情報をすべて守り、自由にアクセス できなくするのはフェアでないという立場で批判が起こりました。
  このスイジェネリスという方法論は、もともと北欧著作権法49 条を参考にしたと言われ ています。私はまさにその49 条の研究を進めているのですが、私の見解ではこのEU 指令 と北欧法49 条はまったく別物ですし、北欧の学会でも別物としてとらえらえています。
 北欧法49 条は、たとえばカタログのような文化的水準のそれほど高くないものでも、労 力やお金をかけたものに関しては、著作権法の枠組みの中で、不正競争法の考え方を取り 入れて守ろうというものなんです。これを専門的に言うと、隣接権(neighboring right ) という言い方になります。これは完全に著作権法の中での処理ということになります。
  ところがEU は、この北欧法49 条を、「著作権法とスイジェネリスの中間のような保護方法だ」という解釈をしています。この解釈をめぐって北欧の学会、法曹会と、大陸の法 曹会、特にドイツ、オランダ、フランスがかなりもめて、いまだに平行線をたどっている 状態です。
  ここで、問題となるのが、EU 指令にも相互条約のような条項があって、日本において EU のデータベースがEU 域内で保護されるのと同様に保護されない限り、EU 域内で日本 のデータベースは保護されない危険性があるということです。
  日本はこれにどう対応したらいいか、放送の分野での実務者であるみなさんはどのよう にお考えでしょうか。

【ディスカッションの記録】

日欧で違う“データベース”の定義

石井(NHK) はじめに、“データベース”の定義を確認しておきたいのですが、先生は、“デジタルコンテンツ”は即ち“データベース”であるとおっしゃいました。この場合の“データベース”というのは、“いわゆるデータベース”というのも変ですが、著作権法第2条の定義にある、「情報の集合物であり、それを電子計算機を用いて検索可能にしたものである」というふうにとらえていいのか、あるいはもう少し広く、「デジタルデータそのものが必然的にデータベースである」というふうに理解すべきなのかどちらなのでしょう。

曽我 日本でいう“データベースの保護”は、著作権法第12条の2項で、「データベースでその情報の選択又は体系的な構成によって創作性を有するものは、著作物として保護する」というところにあるとおりです。一方、欧州の“データベースの保護”は「特にサイバースペースの中のデジタルデータそのものを保護する」ことを意味します。

そこのギャップがかなり大きいんです。ですから私もヨーロッパに行った時になぜ“データベース”が重要なのかと疑問をもちました。ところがそこに解釈の違いがあったわけです。ですから、日本で守られる“データベース”というのは狭い範囲のもので、欧州でいうのは広い範囲ということになります。

石井 日本では、データベースに含まれる個々のコンテンツが著作権なりその隣接権で保護されるので、重複を避けるために、あるいはそこから漏れた部分をデータベースとして保護するということがあると思います。

今ここでの議論としては、“データベース”というのはネット上に入っているデジタルコンテンツそのものですね。言い換えれば、一般 的に日本で“データベースの保護”というときには、“創作性のない”ということばが頭にふられていることが多いのですが、そうではなく、“創作性のある”データベースを含む。極端なことを言えば将来NHKの放送が完全にデジタル化されたときに、そのソフトが大サーバーに入っていてそれを順番に放送しているとすると、大サーバーそのものがデータベースであると考えるわけですね。

曽我 そのとおりです。それが欧州のEC/96/6の考え方なんです。ですから日本と欧州では“デジタルコンテンツの保護”ということについて基本的なところでかなり認識のずれがあります。

なぜデジタルvsアナログなのか

上原(朝日放送) 先生のお話をききながら、私もそれを感じていました。日本では、少なくとも実務者のレベルでは、日常的に“デジタルコンテンツの保護”という形で著作権を立てません。それは、原則的に日本の著作権法体系の中ではデジタルかアナログかでコンテンツを区別 するという考え方をしていないからです。1990年代半ばに、デジタル化、ネットワーク化についていろんな論議はありましたが、それが日本の中で煮詰まらないうちにWCT(*WIPO著作権条約-WIPO Copyright Treaty)、WPPT(*WIPO実演・レコード条約-WIPO Performances and Phonograms Treaty)ができてしまい、問題点はネットワーク化自体に移っている。つまり、デジタル化によって現れてきた社会現象をどう斬るかという問題はあっても、デジタルかアナログかという捉えかたは日本の中では少ないんです。一方、欧米では、デジタル問題が、例えばWIPO デジタルアジェンダ(DIGITAL AGENDA)という形で考えられているという事があります。そういうところで著作権に対する考え方のずれがでてくるのではないかと思います。<注 WIPO=世界知的所有権機関 World Intellectual Property Organization >

曽我 そうですね。ただ現実に、デジタル化が進む状況の中で、たとえば書籍代には著作権料が含まれるように、アナログの世界では確立されている課金システムが、サイバースペースの中ではできていない。できていないまま、技術はどんどん進歩していきます。これにどう対処するかを考えるときに、デジタルかアナログかが問題になるわけです。

上原 日本で「デジタルコンテンツの保護」を問題にしたとき、法制度としては、非常に概念的ではあっても、少なくとも著作権法に関しては、WCTの枠組みである程度カバーできていると思います。でも問題は、先生のおっしゃるように、実質的な経済システムとして社会的にどう機能しているのかというところですね。いろんな技術がでてきて現実の動きが速いために、法制度とはいたちごっこで穴がでてくるところがあるのが今の状態なんじゃないでしょうか。

曽我 日本が今なんとかなっているのは、パッチワーク式に対処して、EUからもWIPOからもクレームがつかないようにしている状態だからです。一方で、EUは相互主義を強行してくる。アジアの国とも競争しなければならない。そうなったときに、デジタルでもアナログでもコンテンツとして一元的に法律で守れるようにするのは難しいと思うんです。今の状態でその場をしのいでも、いつか対応しきれなくなると思います。

 さらに、問題になってくるのは、権利の重複です。たとえばNHKで番組を作った時点で“デジタル化権”が発生し、それを例えば中国にもっていったときには、“通訳する権利”が発生する。このように、どんどん権利が重なってきたときに、それに対応する課金システムが全くできていないんです。それは果 たして著作権でカバーするのか、契約でカバーするのか。特に日本の放送はアジアでは受け入れられていますし、日本のアニメは欧州では定着しています。そういったシステムを構築していかなければ、これから日本は国としてたいへんな損害を受けるようになるんではないかと思います。

石井 日本法もベルヌ条約もWCTも、コンテンツがアナログ媒体であるかデジタル媒体であるかということはおそらく区別 していない。どちらにしろそれが創作性があるかどうか切り分けて不法行為には対応していますよね。

曽我 確かにそうです。北欧49条もアナログであろうがデジタルであろうが関係ありません。それに対し、EU指令というのは完全にデジタルです。そこが問題なのです。

上原 デジタルであろうとアナログであろうとちがいはほとんどないという考え方は、日本の実務者に共通 していると思います。私たちはマイクロソフトのやり方に違和感をおぼえますし、いまのお話にあった、“デジタル化権”という言葉にも違和感をおぼえます。私たちの中では、“デジタル化権”という基本的概念もありませんし、そういう権利を働かせようとも考えません。けれど、編集著作物ないし日本でいう“データベース”を、“サイバースベースの中”のこととして捉えると、サイバースペースの中に入った段階で“デジタル化権”というニュアンスがでてくる。そこのところが我々の日常の作業と、EU指令とのずれのいちばん大きなところなのかなと思います。

デジタルコンテンツの法的保護をめぐる日米vs欧の構図

曽我 日本では“デジタル化権”というものをわざわざとりあげる必要はないと考えるわけですね。一方、EU指令は、サイバースペースの中にコンテンツを入れた時点ですべて権利が発生するように作られている。

この件に関して言えば、日本とアメリカが一軸にあってヨーロッパというのはまったく別 世界のように思えます。ヨーロッパはデジタルコンテンツすべてを守ると言い、日本とアメリカはそんなものまで守ってしまったら産業が破滅するじゃないかと言う。コンテンツ自体を保護すると言ってもイタチごっこだから、その保護方法を守る方法を考えよう、ある程度まで自由放任でやらせておいて、まとまったときに規制を作っていこうという考え方ですね。

石井 私たちはNHKにいるせいかもしれませんが、日欧と米という対比の方がしっくりくるんですよ。それは放送局の性格もあるんでしょうが。著作権法の枠組みは日欧が似ていてアメリカはちょっとちがうんですよね。

曽我 イギリスはどうですか。あそこは著作権法の法体系が全然違うんですね。

上原 放送が著作物ですからね。

曽我 あの国は著作権法の中に“文化的創造性”の垣根というのはないんですね。

石井 基本的に英米法と大陸法と言われますね。

曽我 アメリカは中間のようですね。EU指令などは、イギリス法の“文化的創造性”の垣根が低いために、スイジェネリス(sui generis)によって大陸法の垣根を下げたという状態です。北欧は垣根は高いんですけども49条によって不正競争防止法の部分でカバーして、著作権の中に入れています。そういう意味でイギリスと北欧は守っているものが似ています。そこで大陸法系のドイツやフランスをどうしようかということで、EU指令を作ったというのが現状なんです。これをアメリカと比べると、法体系からしてまったくちがいます。

上原 著作権法制度の考え方は、石井さんがおっしゃったように日本は大陸法に近いですよね。当然ベルヌ条約からはじまっていて日本が加盟したのは1899年、アメリカが入ったのが1989年で90年の差があるので質的な違いがあると思います。

ただ、デジタル産業に対する政策を比べると、日本の産業形態自体がアメリカと結びついてでてきたものですから、日米対ヨーロッパという対比ができる。さらに日本とアメリカのちがいもあって、日本の場合には、省庁再編以来中途半端とはいえあくまで官主導ですけれど、アメリカは業界主導というか業界がものをいうから行政が動くという形ですね。基本的には実体が先に行かない限り法律も生まれない、言いかえれば実体が動き出すとかなりそこがお金をもって政治家を抱き込んで、未成熟な状態であっても法律が作られてしまうというのがアメリカです。日本の場合には、官からみて安定したという状態にならないと法制化されないので非常に時間がかかるのが特徴です。

このように、産業実体、国の構造による違いはありますが、デジタルコンテンツをめぐる保護の有り方を実態として考えようとすると、日本はアメリカに近くなる。一方、法律の理論上の話をするとヨーロッパに近くなるんですね。

先生は、変化する状況に対して日本の法制度はパッチワーク的な対処をしているとおっしゃいましたが、創作性のないデータベースの保護に関しては、日本はWIPOの論議に委ねているのが実態です。そこをEUはEU指令という形で取り込んでいった。この部分をどうカバーしていくのかというのは問題ですね。

データベースは何で守るべきか

石井 もう一つ問題として考えられるのが、日本において“データベース”自体を何で保護するのか。今は著作権に入れていますけれどこれでほんとにいいのかどうかは問題ですよね。

曽我 石井さんは現場のお立場で何の法律で守ったらいいと思いますか。私は不正競争防止法だと思うんですが。

石井 私はスイジェネリス(sui generis)に近いのかなと思います。データベースとコンピュータープログラムの問題は、どうも著作権法の中に強引に、とりあえずもちこんだという感が否めませんね。

曽我 著作権法の考え方は、コンピューターのプログラムあたりからどんどん変わってきて、整合がとれなくなっている状態です。そこをどう調整するか、あるいは著作権を根本的に作り直さなければならないのか、それが私のこれからの研究課題だと思います。

デクリプションの問題

上原 加えて、デクリプション(暗号解除。スクランブルをかけた放送を許諾なくデスクランブルしてしまう事。有料放送を無料で見られることになる)の問題も重大です。技術的な保護をしていった場合にそれを実行あるものにするためには、技術的保護に対するエンフォースメント(強制力)がないと対応できない。やぶられない暗号はないという前提がありますから。そこでWIPOでも国内でも、デクリプションの権利をどうするか、ライト・オブ・デクリプションを作るのか、或いは、それが難しければ現在ある技術的保護手段の中に改めてデクリプションの問題を書き込むという形で保護を適正化するのか、どちらかしかないと思います。

もう一つ問題になるのが、放送で言えば無反応機器です。デジタル信号の中にコピーコントロールをいかに入れていてもそれを関知するチップのない受信機が出回っている限り現行法制度では対応できない(コピー制御をする信号を放送波に乗せて送信してもそれを受けて感知するチップが受信器に入っていなければ、制御信号は素通 りしてしまって働かない。このような機器を無反応機器と呼んでいる。コピー制御信号を意図的に回避する事は著作権法でも不正競争防止法でも禁止されているが、無反応機器のように最初から制御信号を感知しない機器に関しては法律の規制は働かない)。これは放送だけの問題ではなくて、インターネット上ではもっと深刻です。著作権はあっても、細かく課金していこうというときに、そういうシステムがないわけですから、それを構築するために技術的になんとかしなければいけない。それを実現させたときに実際に破られるようなことがあってはならない、あるいはそれをみんなが守らなければならない。そういう意味では無反応機器の問題は非常に大きな問題です。サイバースペースに国境はありませんから、この問題は、日本、アメリカ、欧州の三局構造のなかできちんととらえていかないと解決できないと思います。

曽我 デクリプションの問題をなんとかしようというのが日本とアメリカの考え方ですね。保護するものをエンフォースするのが先決だと。一方、EUは技術的に遅れていることもあるかもしれませんが、大元を守らなければしょうがないという考え方があって、根本的にそこがちがいます。しかし、指令を出して法律で守るのはいいんですけど実現性はかなり厳しいと思うんですよ。技術の手段をカバーするような法律を作って、それをエンフォースさせたほうがいいのではないのかと思います。この分野の法律はいつも日米が政府協議でやってそれで決まったものをドイツがフォローしてそのあとにEUがぽんとのっかるという状態ですね。

上原 今のところ日米で知的財産の二国間協議をはじめたんですけれどもそのテーブルには主題としてあがってないですね。そこにあがれば早いと思います。

サイバースペースにデジタルの本質を探る

田辺(NHK) サイバースペースについては日常的に考えさせられることがあります。“デジタル”というのはネットワークにつながる。ネットワークと市井の技術、つまり秋葉原に行けば売っているようなものが、実は著作権に重大な影響を及ぼしかねないんじゃないかという大きな危惧があります。

たとえば放送をキャプチャーしてパソコンに入れて、それをインターネットで流すことは簡単にできます。ある意味では同時的な再送信ができる。極端なことをいえば、秋葉原に行ってボードを買ってきてちょっとした雑誌を買えばできる。今はアメリカや日本の一部のマニアックな人たちがやっていることでも、国策のe-JAPAN構想にあるように、各家庭にブロードバンドが整備されたときには、ややこしいことが起きてくる。そういうことを考えると、サイバースペースの問題を通 して“デジタル”というものの本質を見直す必要があるのではないかと思います。

国を越えてエリアをこえて放送が再送信される、そういうことも現実になってきた今、デジタルを見据えた環境を様々な角度から考えていかなければ立ちゆかなくなる。同時に、私たちは放送局の後ろにいろんな権利者の重荷を背負っていますのでそれも考えていかなければならない。サイバースペースを現実の姿としてどう考えていくか大きな問題だと思います。先生にはぜひそういう広域な面 を含めて研究を進めていただきたいと思っております。

曽我 それをやらないとこの国はたいへんなことになると思います。今日は実務者のみなさんの問題意識や考え方 ―基本的な認識のギャップを含めて― を確認できました。それを次にどう結びつけていくか、今はその段階だと感じています。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

(編集 事務局)

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