カルチュラルエコロジー
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放送文化基金研究活動

<タンペレeグローバル会議参加記>

箕浦 康子(お茶の水女子大学教授)

eグローバルの現状
 7月29日から31日まで2日半に渡って開かれた第1回Tampere eGlobal Conferenceは、eTampere, eEurope, UN ICT Task Forceの3組織の共同主催とはいうものの参加者総数は130人に留まり、国外からの参加者は事前にスピーチを頼まれた人がほとんどで、聴衆のほとんどはフィンランド人でローカル色の強い会議であった。
 スピーカーには、IT企業や放送通信事業の関係者、もしくは政治家が多く、研究者の参加は3人に留まっている。フィンランドは1980年代に大不況に見舞われたが、それを救ったのがIT産業で、現在国民総生産の約3分の1はICT(Information and Communication Technologyの略)から生み出されていると言われ、ICT分野では他のヨーロッパ諸国のどこよりも先を行っていると自負し、自分たちより一歩先を走っているのが日本という認識があるようであった。舞台にINVIA.-FUJITSU(北欧・富士通)のロゴが常時提示されていることがこの会議の性格を物語っているが、フィンランドがこの分野でリードを保ち続けるための施策にかかわる発言、企業のプロモーショントークのようなものが多かった。筆者のスピーチは会議の基調とは違っていたが、データに基づいていたことや子どもとメディアの関係がフィンランドで社会問題化していることもあって、翌日の新聞に取りあげられた。

 会議は、「eグローバルの次元」を考える際に「われわれはどこにいるのか?」の検討から始まり、冒頭で、EUの“企業と情報社会”のコミッショナーのリーカネン氏が米国との比較でEU、またフィンランドはどこに位置するのかを一人当たりGDP、生産性、起業家マインドなど諸種の統計を使って説明し、ICTや組織改革がそれを上昇させることを力説、次いで富士通研究所所長やワールドテレコムの最高経営責任者の基調講演があった。午後からは、電子メディアにおける著作権、iモードの現状などの各論に入った。デジタルテレビの導入状況の3カ国からのレポートは、英国では1998年度にはほとんど零であったデジタルテレビが今は900万世帯(36%)に普及し、2010年にはアナログからデジタルへ移行をめざす政府の計画は順調に進んでいることが報告されたのに対して、スウェーデンではデジタルもアナログも同じくテレビであって、デジタルだから高い料金を払うという視聴者は多くなく移行はうまくいってないことが報告された。
 2日目は「人間の次元」からeグローバルを検討することに移り、フィンランドの前文化情報大臣は、<情報社会>から豊かな内容が相互に交換される<コミュニケーション社会>への移行を説いた。そこでは直接入手可能な多量の情報から自分のニーズに合った情報を探索し評価し使いこなしていく批判的思考が必要で、そうして得た知識こそが意味があると述べた。次いでシャルマ・アジア工科大学(タイ)教授は同大学で2003年から開始されるICTの大学院プログラムでは、途上国の開発に必要なのは単なる情報ではなくて知識であるという考えを述べた。ICTから得る知識を健康、環境・安全、農村開発、収入を得る機会の創出、教育・訓練、統治・経済運営などにどのように繋ぐかが課題とされ、そこにデジタル・デバイド克服の道筋があると語る。

子どもとメディア―日本における調査
 第三人目の演者である筆者は、IT関係の討議で忘れられがちな子どもとメディアをめぐって、以下のようなことを話した。
 フィンランドのアハティサリ元大統領が1994年のIICタンペレ総会の基調講演で提起した「カルチュラルエコロジー」のコンセプトを受けて、私たちの研究委員会は“デジタル革命の光と影”について図1に示した枠組で3年間研究した。日本では、1960年代後半の白黒ビデオ、1970年代後半のカラーテレビ、1980年代後半のビデオゲーム、VTR、CDプレーヤー、1990年代後半のパソコンやインターネットの普及などで、子どもを取り巻くメディア環境は過去50年間に一変したが、こうした変化は何をもたらしたかを身体・脳・行動と心理の各側面で検討した。
 小学生の4分の3がビデオゲームを所有し、中学生になるとCDプレーヤー、携帯電話、テレビなどさまざまなICT機器に囲まれだす。子どもは、平均すると平日の放課後の4分の3をテレビ画面の前で過ごす。ビデオゲームの使用には大きな男女差が存在し、男子で平日に2時間以上ビデオゲームで遊ぶ者は、衝動抑制力が低くキレやすい傾向があった。
 認知神経科学は、生後6年間にシナップス(*1)数は飛躍的に増し、生育環境に見合った脳が出来ていくことを明らかにした。このことは、ICT機器の過剰使用が神経回路にどのような痕跡を残すかという研究の必要性を示している。メディア接触時間の増大による外遊びの時間の減少と神経系の発達が関連していることを示す直接的証拠はいまだ得られていないが、疫学的には心配な徴候が出ている。狩野式運動能発達検査法の一項目の「閉眼接指」(目を閉じて左指と右指の人差し指の先をピタッとくっつけるテスト)は、テレビが導入前の1961年には5歳児のほとんどがパスしていたが、1979年には13、14歳になっても2、3割の子どもは出来ないところまで低下した。これは、大脳皮質の感覚野と運動野の統合不全の子どもが60年代から80年代にかけて大きく増えたことを意味する。
(*1)シナップス…脳の神経接合部
 戸外で身体を動かさなくなったことのもう一つの帰結は肥満児の増加で、ビデオゲームが急激に普及した1985年を境にして学校健康検診で肥満と診断される子どもの割合が急増し、その増加率は小学生でもっとも顕著であった(図2)。しかしながら、この時期はコンビニのが増加し食習慣自体が変化した時期なので、メディア接触の増加だけに帰することができないが、1994年に日本小児科学会が実施した調査では、高度肥満児は平均より1時間も多く電子画面の前に座っていることを明らかにしている。
 携帯電話は1996年以降高校生の間で急速に普及、通話料とかつながりやすさといった実用性よりも、最新のものを持っているとか、友だちと同じ機種であるかが重視される。高校生の場合は、6000円から1万円の月額通話料を誰が支払うかが問題となるが、コンビニやスーパーなどでの放課後のアルバイトの稼ぎを支払いに当てているものが65%ほどいた。携帯電話の普及は高校生の時間の使い方や若者文化のあり方を変えてしまった。また、子どもの所在を掴まえやすい携帯電話は「家にいる」「家にいない」の境界をぼやかし、親もどこにいるか連絡さえつけばと考えがちで、思春期の親子の関係を変えつつあった。電話はかつて家族で共同で使うもので、思春期の子どもの長電話は親との葛藤の源泉であったが、携帯電話がもたらしたコミュニケーションの個人化は、親という権威像との葛藤を通して成長を遂げるチャンスを奪っているとも言えた。
 携帯電話の普及が一定限度を越え、今ではそれを持たない者は、友人ネットワークから疎外されるようになった。それとともに、返事待ち時間の許容度の低下、直接話をするよりメッセージを読む方がよいといった新しい心性が現れてきた。携帯電話やインターネットというツールが、時間感覚を変え、コミュニケーションから声を失わせつつあり、対面的な相互作用の時間の減少が社会的スキルの発達を阻害しないかどうかが懸念されるようになった。
 ICTの発展は、その否定的な側面をどれだけ減少することができるかにかかっている。今後の課題は、第一に、ICTがもたらした文化的環境の子どもの心身に及ぼす影響を脳科学を活用しながら研究すること、第二に、バイオエシックス(生命倫理)に相当するようなデジタル技術開発の方向性をガイドするメディアエシックスの形成、第三に、ICTを賢明に使えるユーザーを育てる方策(メディアリテラシー教育)、の三点を強調した。
アハティサリ元大統領の「カルチュラルエコロジー」というコンセプトを初めて聞いたというフィンランド人が多く、会議で発表することで逆輸入した観があった。

eグローバルの前途
 ノキア副社長やユネスコパリ本部のDr.Platheの特別講演ののち、2日目午後からは、eグローバルを進めるために考慮しなければならないことについてさまざまな観点からの提案がなされた。会議を共催した3つの組織の責任者が今後のヴィジョンを提示、続いて政治家の責任について日本・フィンランド・ヨーロッパ議会の議員によるパネルディスカッション、政治とITの結びつきを示す3事例の報告があった。
 エストニアでのeDemocracyの実践例としてのTOMプロジェクトは、エストニア政府に対して市民が直接意見を述べることを可能にする直接民主主義実践のポータルサイトである。市民はアイディアをポータルサイトの掲示板に送り、他者からの反論や意見を一定期間募ってアイディアを修正し、それに対して投票が実施され、賛成多数の場合は関係省庁に送られ、政策として実施の可能性が検討される。1年間の運用後、参加した市民は政治に参加する簡単かつ明確な方法を得たことで力を得た(empowered)と感じているが、問題は、eDemocracyでの議論が真剣に政府で取りあげられないこと、市民からのアイディアがしばしば実際的でなく、政府の担当官はアイディアをどう取り扱ったらいいかわからないなど問題も指摘されるようになったという。
 国連の災害担当官(disaster manager)の緊急時コミュニケーションとICTによる危機管理システムの報告も興味深かった。緊急時コミュニケーションのためのロジスティックインフラとしてICTを人道目的のために使用した例が報告され、コミュニケーションが可能であるということが人々に力を与える事例が報告された。カブールでの衛星電話事業を国連世界食糧計画との契約に基づき2001年11月20日より始めたスウェーデンのエリクソン社の報告は、通信システムが壊滅状態のアフガニスタンでGSM(*2)システムの小型ステーションが有効に機能し、国連関係者のみならず、各国大使館やアフガニスタン政府、NGOならびに私企業からの契約が相次いでいるという。
(*2)GSM…ヨーロッパにおけるデジタル携帯電話の標準的な方式

 閉会式では、ICTをグローバルな進歩にリンクさせる方策を今後も探る目的で、2回目の会議を2004年の3月に開くこと宣言して幕を閉じた。この会議のほとんどのスピーチは、www.eglobalconf.net/programme.html からダウンロードすることが可能である。



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