番組制作者の声
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「伝えるべきことを見つめたい」

村口 敏也 (テレビ愛媛報道部チーフ)


 「きょうは○○を直撃です」「あすは○○の実態に迫ります」…。放送メディアで日々繰り返される言葉を聞きながら、時として疑問を感じることがある。テレビは本当に伝えるべきことを伝えているのだろうか。メディアはより刺激的な話題を追い求め、視聴者はさらに強い刺激を求めるといった連鎖に陥っていないだろうかと。半世紀を迎えたテレビは今、本来果たすべき役割を厳しく問われているのではないだろうか。
 不特定多数に同時に映像を届けるテレビは、長年にわたり「憧れと畏敬」の念をもって見られてきた。「崇められてきた」といっても過言ではないかもしれない。事実、私のいるローカル局では、昔、アナウンサーが取材に来たことを記念して石碑を建てたところがあったというエピソードがある。そんな大げさなと思うかもしれないが、それだけテレビは大きな影響力を持つ絶対的なメディアだったということであり、制作者たちはその担い手として、いい意味でのプライドを堅持し、視聴者の負託に応えていたのである。
 今のテレビはどうか。多メディア化やデジタル化に伴う生き残り競争の中で、質の高さを追求するべき商品たる番組ソフトは危機に直面している。どの局もコスト削減と視聴率競争に追われ、「伝えるべきことを伝える」意識が薄れつつある気がしてならない。一昨年9月の小泉首相訪朝を機に、日本に吹き荒れた朝鮮人バッシング。以来、放送メディアは連日のように、北朝鮮に関する特集を流し続けている。「北朝鮮の話題は数字が上がる。それは視聴者が知りたがっていることだからだ」。こうした理論武装をもとに、センセーショナルな見出しを付けた過剰なまでの報道が展開され、その結果、日朝両国や在日朝鮮人をめぐる問題を客観的に見つめることは、タブーにさえなってしまった。
 このいわば独善的な“放送文化”に一石を投じたいとの思いも込めて、私は去年、1本のドキュメンタリーを制作した。全校生わずか二十数人の四国の小さな朝鮮学校を通して、苦しみの歴史の上に生きる在日の姿を描いたものだ。かつて「北のスパイ養成機関」とまでいわれた在日の学び舎で見たものは、思想や政治教育ではなく、民族を守り伝えることへのひたむきな思いだった。運営が厳しく給料が出なくても教壇を去らない教師たち、その姿を見ながら育つ子どもたち…。そこには、朝鮮学校のあるこの国の教育が忘れかけている大切なものがあった。
 あえてこの時期に、いやこの時期だからこそ制作した番組に、どのような反響があるのか。不安がなかったとは言えない。だが、「在日への偏見を捨て交流を深める必要性を感じた」との感想が多く寄せられ、作り手の思いは受け止められた。舞台となった朝鮮学校に隣接する私立校は、「近くて遠い存在だった朝鮮学校と正面から向き合っていきたい」と、教職員の研修会に私を呼び、つたない話を聞いて下さった。生徒に番組のビデオを見せ、在日について考えた学校もある。
 作り手の主張がすべて正しいとは限らない。しかし、視聴者に対し常に問題提起をし、本当に見つめるべきものは何かを問うていくことこそが、放送メディアに課せられた大きな使命であり、真の放送文化を作る礎となる。テレビが草創期の原点に立ち返った時、それは“絶対的なメディア”としての威信を取り戻し、次の新たな50年も光輝ける存在になると確信する。かくいう私も、まだまだ努力が足りない。


<執筆者のご紹介>

村口 敏也(むらぐち としや) テレビ愛媛報道部チーフ

 1962年大阪市生まれ。関西学院大卒。1986年テレビ愛媛入社。アナウンサーとして情報番組の司会やニュースの キャスターを務めたのち、制作ディレクターに転向。情報番組を担当する傍らドキュメンタリーを制作。現在は報道デスクを務める。
 主な作品に、「面河村騒動記・50年目の民主主義」「ふるさと創生…観音郷の夢を見た」「自白〜この国の捜査のかたち〜」「ウリハッキョ・民族のともしび」などがある。