番組制作者の声
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地方の豊かさこそが多様な放送文化の土壌に


四宮 康雅
 (北海道テレビ コンテンツ本部編成・企画センター 企画グループ部長・プロデューサー)


 「北海道テレビは1996年から年1本のペースでドラマを全国放送している。2000年からは念願の自社制作となり、プロデューサーである私が企画・原案から手がけるオリジナルドラマを作っている。とは言え、放送枠は土日の午後帯という決して良枠ではないし、55分単発という環境的にも恵まれているとは言えない。北海道局の中でのドラマ制作は最後発であったが、気がつけば近年のキー局によるローカル局行政の厳しい締め付けもあって、先輩格の他局は次々とドラマチームの看板を下ろし、小なりとは言えレギュラーで制作しているのは遂に弊社だけとなってしまった。札幌で開催された民放大会のさるフォーラムで、某大手代理店の幹部が『地方局はドラマを作る必要などない』とのたまわったのはほんの数年前のことであるが、地方蔑視とも言える発言が東京の意識を代表しているのならば、弊社はそうした世の流れに一石を投じることに一生懸命になっているとも言えようか。
 確かにテレビにおける総合芸術とも言えるドラマは、演出力や撮影技術だけではなく、脚本を作る力やキャスティング力などローカル局にとって確かにハードルは高い。しかし、キー局で量産される視聴率を取るためのドラマや、豪華ではあるがキャスティングだけで物語としての肉体のないドラマを見る気になれない者にとって、今の等身大の自分が作りたいドラマ、見てみたいと思うドラマが必要なのではないかと思うからだ。制作者のカラーが見えるドラマ作りとでも言えばいいだろうか。それは恐らく私が10年間キー局にいて、その後地方局に転職したという経歴と無縁ではないだろう。東京が持っている文化的なポテンシャルの大きさには十分敬意を今も持っているが、地方には地方の豊かさがあり、地方局だからこそ作れる番組もあって、それがこれからの放送文化に不可欠な多様性の大きな土壌になるのではないかと感じるのだ。間違いを恐れずに言えば、これまでの「放送文化」とは肥大し続ける東京の価値観で表現されたものではなかったのか。昨年テレビ界で発生した不祥事の数々は、キー局がリアルな社会常識から逸脱していることをはからずも露呈してしまった。視聴率を人為的に操作しようとした事件では、ジョージ・オーウェルが小説「1984年」で描いた監視社会を思い出した。視聴率という唯一無二の“ビッグ・ブラザー”がテレビ制作者すべてを監視している社会。そこにあるのは企業としてのドグマだけである。
 これからのテレビに必要なのは、地方がその豊かさをもっと主張することだと思う。ことさら地方であることを喧伝するのではない。北海道テレビではドラマにとどまらず、映画製作や演劇を通しての北海道発信にも力を注いでいる。それはキー局とは違った形での発信力が、自局のコンテンツ力となり、ひいては地域の豊かさに貢献すると思うからだ。ローカル局は、放送エリアという物理的制約からは逃れられないが、地域文化創造の担い手としてより多様で豊饒なテレビの地平線を創っていける可能性があるのではないだろうか。


<執筆者のご紹介>
四宮 康雅(しのみや やすまさ) 
北海道テレビ コンテンツ本部編成・企画センター 企画グループ部長・プロデューサー 

 1957(昭和32)年大阪生まれ。91年に日本テレビから北海道テレビに転職。民放初の千島列島縦走取材など大型ドキュメンタリーを制作。ドラマプロデューサーとして企画・原案から手がける手法を切り開き、芸術祭賞を始め国内外で数多くの賞を受賞。02年には米国際エミー賞の最終選考委員も務めた。人気ローカルバラエティ「水曜どうでしょう」のDVD化では、コンビニエンスストアと組んだ販路開拓と独自のブランディング戦略で全国屈指のヒット作に育て上げた。テレビだけでなく映画製作や演劇プロデュースなど地方発信のコンテンツ作りに情熱を燃やしている。
  著書に「昭和最後の日〜天皇報道は何を伝えたか」(共著)。