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北日本制作者フォーラムinさっぽろ
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***開催内容詳細***
入賞作品
北日本制作者フォーラムでは、独自の企画によりミニ番組とは別に長尺番組(55分以内)の表彰も行っており、9月に第1次審査、10月に最終審査が行われ、大賞1本、優秀賞2本が選ばれた。

受賞者
番組名
大賞
大野 太輔(NHK仙台放送局) 本当は、悲しいけれど
優秀賞
広瀬久美子(北海道テレビ放送)

HTBノンフィクション 
生と死の医療

優秀賞
横内 郁磨(札幌テレビ放送) 届かない最期の声 死因究明の闇

<敬称略。同賞はエントリー番号順>



番組部門 最優秀作品上映・制作者トーク
※大賞受賞

『本当は、悲しいけれど』
大野 太輔 氏(NHK仙台放送局)

<番組あらすじ>
 3月11日、名取市閖上中学校は卒業式だった。地震発生のわずか2時間前、教室には卒業生たちの歌声が響いていた。そして津波襲来。以来、時間は止まったままだ。
 津波発生の翌日、カメラは閖上中学校に入った。周囲を水に覆われ、半ば孤立した校舎には800人を超す生徒とその家族、そして地域住民の避難者であふれていた。この中学校で呆然と立ちつくし、津波を見届けた人々はその後どのように前へ進もうとしたのか?私たちは被災直後から当地に入り、そこで出会った人々のその後を取材。被災者たちが抱える心の傷と向き合い、地域の復興と絆の再生へと向かう人々の姿を記録した。

『被災者を撮る「自分」とは?』
NHK仙台放送局 放送部番組制作 大野太輔
『なんの権利があって、私はこの人たちにカメラを向けているのだろう?』その事ばかりが頭を巡っていました。津波発生16時間後の現場は、ヘリコプターの轟音と油の臭いに覆われていましたが、不思議な「静けさ」を感じていました。あの時、私自身、”テレビ屋”としての興奮はなく、ただ無惨な光景 に気分が落ち込むばかりでした。
 住民800人が避難していた中学校は、ある「熱」に包まれていました。九死に一生を得た人たちの一体感、家族の安否を探す焦燥と、未だ危険な状態にある人の命を救おうとする「熱」です。言葉を選ばずに言えば、私たちはその「熱」に乗ってカメラを回し続けたのです。
 番組は、津波襲来の翌日に閖上中学校で出会った人々の1ヶ月を記録したものですが、あの過酷な状況下にあっても、子供たちの様々な「笑顔」が 映っています。被災翌日の中学校の屋上で笑いながらキャッチボールをする姿。弟が行方不明のまま避難所で一人過ごしていた女子生徒が先生に見せた笑顔。男 子生徒が「お母さんは、お星様になっちゃった」と冗談まじりに強がる姿。そうした子供たちの複雑な「笑顔」に出会うたび、私は胸を締め付けられる思いに駆られました。しかし、あの時、その「笑顔」に同じ過酷な状況下にいた大人たちが救われたのもまた事実でした。
 あの頃、私は自分の仕事を「記録」だと言い聞かせていました。人類史上の記録であり、そこに番組をつくる「ねらい」や「思い」はあってはならないと。起きている現実の大きさや重さの前に、私の「思い」などあまりにも不遜な気がしたのです。しかし、番組制作の過程では葛藤の連続でした。そして震災 から9ヶ月が経った今もその答えは出ていません。


フォーラム「東日本大震災・取材の現場から」
北日本制作者フォーラム
「東日本大震災・取材の現場から」
音 好宏
(上智大学教授)

 今回の北日本制作者フォーラムでは、2011年3月11日に発生した東日本大震災を受け、ミニシンポジウム「東日本大震災・取材の現場から」が企画された。今回の震災は、東日本制作者フォーラムのメンバーである放送局のサービス・エリアを直撃するものであった。
 このミニシンポジウムでは、まずテレビ岩手・小野絢子さん、仙台放送・田村信也さんから、地震発生当初に地元放送局内でどんなやり取りがなされ、また、現場にいたスタッフたちは何を考えたのかを、震災発生直後の映像なども交えながら、体験論的に語っていただいた。ローカル局にとっては、地元の被災者へのきめの細かな情報提供と、ネットワークから要請される全国向けニュースの素材提供の両方を行わなければならないという混乱した状況を体験したことで、改めて、自分たちが向き合うべき目の前の視聴者の存在を考えることになったという。
 また、NHK札幌放送局の齋藤敦さんからは、震災を受け、NHK札幌放送局がどのように現地の取材を支援したかを紹介してくださるとともに、札幌と被災地との視聴者を結びつけた番組作りの実践例を報告された。
 震災発生から8ヶ月がたち、全国ニュースから被災地関連のニュースが減少するのは当然として、その内容も被災地の心情とは、異なるものが増えてきたという。放送現場は、被災地の人びとの営みにどう寄り添っていけるのか。そして、被災地と非被災地との意識をどのようにをつなぐことができるのか。震災が放送に突きつけた課題は多い。
 単に体験論的に震災報道を振り返るのではなく、放送ジャーナリズムのあり方そのものを問うことになった有意義なミニシンポジウムであった。


「災害時、テレビに何が求められるか」 
テレビ岩手報道部 小野絢子
 2011年3月11日に発生した東日本大震災により、報道に携わる者として様々なことを再確認しました。視聴者は災害時に、報道が提供する情報にいかに大きな期待を寄せているのか認識するとともに、その期待に応えたいという思いを強く致しました。
 発生から2週間ほどの期間を、私は情報取りや社内の調整役として本社で過ごしました。息つく暇もなく仕事に取り組む中、外線電話をとると、7,8件に1件が視聴者からの電話でした。内容は、「今東京にいるが、郷里の家族と連絡が取れない。撮影に行ってもらえないか」「・・市・・地区は無事なのかどうか知りたい」など、現地に出入りがあるマスコミに情報を求めるものでした。交通網のマヒなどによって、自ら被災地に赴くことが叶わず、テレビの前で息を詰め、藁にもすがる思いで被災地の情報を集める視聴者の姿が思い浮かびました。
 電話口でも、情報は可能な限りお伝えするのですが、個人的な撮影の依頼に応えられる余力は残念ながらこちらにもありません。何とかわかってもらえるよう説明するのですが、みなさん最後は号泣されるのです。電話口でその悲痛な声を聴くことが、精神的にも堪えましたが、しかしその声があったからこそ、困っている人のために取材し放送するのだという目的意識を保てたことも事実です。少しでも被災地の現状を、避難された方のお顔を撮影し、その声を届けることが、報道ができる大切な仕事の1つだと改めて思いました。震災から日がたったものの、「困っている方々の現状を、より多くの方に伝える」という姿勢は、完全に復興したと言い切れるまで失ってはいけないものだと、いま改めて肝に銘じています。

震災報道は役に立ったのか
仙台放送報道部 小鹿崇司

 3月21日。
 海上自衛隊が離島に救援物資を届けるという取材で、護衛艦に乗る機会がありました。
艦上で仲良くなった海自の司令官が、こんな話をしてくれました。
「マスコミが連日流している、『こんな場所に人が取り残されている』とか、『避難した人たちはこんな物資を求めている』などの報道は我々にとっても貴重な情報なので、もっとやってほしい」というのです。
 自衛隊では震災時、24時間、全テレビ局の映像を録画して分析する専門のチームを置き、住民救出や物資配布の優先順位の方針決定に利用していたそうです。
 「テレビが『この学校で10人孤立』と報道してくれれば、あとは我々が勝手に場所を 調べて、すぐ救援に向かうので、どんどんやって頂きたい―」
 私も含めテレビの人間は、あの当時「いま停電中だし、果たしてどれだけの人が 放送を見てくれているのか?被災者の役に立てているのか?」という悔しさを抱きながら報道を続けていたと思います。しかしこの話を聞いて、わずかでも、被災された方々のお役に立てたのかもしれない…と思えるようになりました。

 今回、ミニ番組コンテストで優秀賞を頂いた「音信不通の集落の今」とは直接関係の無い話ですが、震災を経験した報道記者の1人として、テレビが一定の役割を果たしたことを多くの人にお伝えしたいと考えました。

 また、系列を問わず、被災地・宮城に応援に来て下さった報道の皆様に御礼申し上げます。本当に有難うございました。


ミニ番組コンテスト 入賞作品
参加番組21本の中から、大賞1本、優秀賞2本、審査員特別賞2本が選ばれた。

受賞者
番組名
大賞
熊頭 新平(札幌テレビ放送) 災害派遣支える感謝の言葉
優秀賞
鈴木 貴祥(北海道テレビ放送) 大切な人と写真を撮ろう
優秀賞
小鹿 崇司(仙台放送) 音信不通、牡鹿半島の集落は今…
審査員特別賞
高野 浩司(テレビユー福島) 遠くから見つめている 〜避難区域の教師達〜
審査員特別賞
河内 孝(テレビユー山形)

記者たちの眼差しエピソード7 記者が遺体を発見 〜生きる〜


<敬称略。同賞はエントリー番号順>

ミニ番組コンテスト大賞受賞
『災害派遣支える感謝の言葉』
札幌テレビ放送 報道制作局報道部
熊頭新平


警察官と被災者の優しさに触れた取材

 番組をつくる上で心がけたのは、“奮闘する北海道警察”と“被災者との関わり”をしっかりと描くことでした。派遣先の岩手県で最も過酷な作業だったのが、不明者の捜索。
 一片の遺骨を見つけるために、警察官が汗と泥にまみれながら、奮闘していました。その過酷さを目の当たりにし、道警が派遣されている意味を感じました。 そして、その活動の大変さを理解していたのが、わずか小学1年生の地元の少年。道警が宿舎に戻る途中の沿道で、毎日、車両に向かって感謝の敬礼をしていたのです。テレビで全国の警察が頑張っている姿をみて、自ら敬礼を始めたそうです。当たり前と思われがちな警察の活動が、被災者の胸にしっかりと刻まれていることを、この少年に教えてもらいました。
 「何とかしてあげたい」という想いで奮闘する道警と、そのありがたさを理解し、感謝を伝えた少年。
 復興に向けて必要なのは「人の優しさ」と「感謝の心」なのだということを、この取材で何よりも感じることができました。

ミニ番組コンテスト大賞受賞


フォーラムに参加して

迷いと葛藤のなかで
詩人・エッセイスト 白石公子

 やはり震災と報道のあり方について考えらせられたフォーラムでした。ミニ番組も、被災地に何度も足を運んだからこそ見えてきた問題点、被災者とじっくり向き合ったからこそ聞くことのできた言葉など、東京キー局ではできない、地元放送局ならではの寄り添った目線を感じました。そんななか制作者側の報告――あまりの被害の大きさに、カメラやマイクを向けていいのかどうか、戸惑いと葛藤の撮影だった、という言葉も印象に残りました。しかしそれらの動揺また、大災害がもたらした現実として画面に浮上していたような気がします。迷い、葛藤しながらカメラをまわす、という制作者側の、それもまた真実の姿なのでしょう。なによりも登場してくる子どもたち、若者たちの言葉の真摯さには希望が感じられ、何度も胸打たれました。



テレビを考える充実した1日…
北日本制作者フォーラム実行委員 富浦浩一
テレビ北海道 報道制作局長

 11月11日、東日本大震災の発生からちょうど8か月。東北・北海道各局関係者のご協力で当フォーラムを札幌で開催することができました。
今回は番組部門33作品、ミニ番組部門21作品の応募があり、どれも力の入った作品ばかりでした。
 また、フォーラムでは「東日本大震災・取材の現場から」と題したパネルディスカッションを開催し、コーディネーターの音好宏氏と宮城、岩手、北海道各局で、震災報道に関わったパネリストの皆さんたちから震災報道現場での貴重な体験などをご討議いただき、あらためてテレビは何をどう伝えたのか、テレビに求められるものは何かを考える機会となりました。

 今回は一日開催でしたが番組部門大賞受賞作品やミニ番組コンテスト参加作品の上映、そして懇親会での意見交換の場が、参加された皆さんにとって有意義で刺激となった時間であれば世話人一同幸いです。